ASD 他人の経験は自分のことにならない
発達障害の女の子のお母さんです。
娘には夕飯の配膳のお手伝いをしてもらっています。
何年もやっているのに、どうしても娘と向かい合う私のご飯と汁物の位置は時々逆になります。
この時々なのが、わかっているのかいないのかを余計わからなくさせます。
座った時に右はどっちか考える、
自分のと反対、これも言葉は復唱するけど、
たぶん理解できてなさそう。
先日は娘よりひと足遅れて、私はテーブルにつきました。その時少し足の指先をぶつけてしまいました。大袈裟に「いた〜い!」アピール。
「大丈夫?」と言ってくれるかな、、期待しましたが全く気にしていないので、
「お母さん、足をぶつけて痛いの。なんか言ってほしいな。」
「いただきます」と娘。
食事の前にいただきます、合っているけど、
もう一声ほしいので、
「お母さん足が痛いな」と、さらにアピール。
娘は「お先にいただきます。」
「えっ、痛くてかわいそうな人がいるのに、先に食べちゃうの?」とさらに言うと、、、
「お母さん、お大事にしてください」と。
言葉そのものは間違っていないのですが、
やはり、発達障害の特性の幼さみたいなものを感じます。
他人の経験を自分に置き換えて考える、ようなことは難しいようです。人ごとですね。
話し方そのものも、抑揚がないので、冷たくぶっきらぼうにも取れます。
こういったところが、娘から打てば響く感覚がなく、反応が悪いと思うのかもしれません。
お母さんだけが熱くなる。(いつも手取り足取り、二人羽織みたいになって大汗)
先生だけが熱くなる。(行事の指導とか)
本人は冷静。
応える気がないわけではないと思うのですが、
良くも悪くも見えていない感じです。
指先ぶつけたぐらい大したことないことだけど、
もし、目の前で倒れても、助けてくれないだろうな、、、。倒れています、で素通りされそう。
お母さん、健康第一で頑張ります!