冥い(くらい)時の淵より
序 1
昭和40年。
1台の乗用車が、国道168線を北上していた。
和歌山県の那智勝浦を発って4時間、十津川を過ぎて、
車は谷瀬にかかる所であった。
国道とはいえ、168号線の路面はお世話にも良いとは言えない。
舗装されている所はほとんど無い。
凹凸が激しく、雨の後は水溜りが道を覆う。
山間を縫う道は細く、カーブも急で運転は困難である。
奈良の五条に出る168号線は、右手は落石の恐れのある
山肌が道に迫り、左手は路肩さえ危うい断崖絶壁である。
それにも関わらず、運転している男は
幸福そうな笑みさえ浮かべていた。
まだ、30そこそこの若さに見える。
色白の顔に育ちの良さが窺えた。
車は、一路、五条へと向かっている。
南紀勝浦で1泊しての帰路であった。
ひとり娘も5歳になった。
ほとんど手がかからなくなり、
妻の要請もあっての温泉旅行であった。
家族水入らずの旅行は、
神奈(かんな)恭一には、初めての経験だった。
母親は幼い頃に亡くなっている。
男親ひとりに育てられた恭一は、
「家族」というものの温みを知らない。
それだけ、後部座席でウトウトとしている妻と娘には、
痛い程の愛おしさを感じるのだった。
妻も娘も、旅館での時間をとても喜んでいた。
海が見えた、と言ってははしゃぎ、
鯛の活き造りを前にしてははしゃいだ。
今朝の島巡りは本当に良かった、と恭一は思う。
借り切った漁船に揺られ、次々と目の前に現れる
奇岩に歓声を上げていた娘の姿が浮かぶ。
そして、そのあまりの大声に苦笑しながら
たしなめる妻の顔が思い出される。
自分が「家族」を持っている。
その、くすぐったいような感慨が、
つい恭一の口元をだらしなく緩ませるのだった。
ブルーバードは快調であった。
大学で実験を繰り返す日々の恭一に、簡単に買える車ではなかった。
しかし恭一は、そのコンパクトなデザインもさる事ながら、
サイドウィンドウの三角窓が無くなった国産車第一号、という
変な所に惚れ込み、かなり無理をして手に入れたのだった。
購入して3ヶ月。メーターも4000キロをやっと越えた所だった。
時計に目をやると、夕方5時半になろうとしていた。
秋の山越えは、日がストンと落ちる。
恭一のブルーバードは、スモールライトを点けて走っていた。