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「人生の扉」と哲学の温度

みなさんこんにちは。

前回、永井玲衣さんの著書「水中の哲学者たち」を読んだ印象を記事にしました。

永井さんの哲学への向かいあい方

永井さん流の「哲学対話」、そのお作法は以下の通り

  • 相手の話をちゃんと聞く

  • 自分の言葉で語るようにする

  • 「人それぞれだよね」で終わらせない

そうやって立場の違う人たちと向かいあい、違いを受け止めていくのが永井さんにとっての「哲学」。

私もそうありたい、と思いました。

思い出した疑問

この本を読むことで、私にとっての「哲学」とは何か?という考えがまとまってきたのですが、それと同時に、以前気になったことを思い出しました。

それは、竹内まりやさんの「人生の扉」という曲の歌詞とそれに対する批評についてです。

竹内まりやさんの「人生の扉」と「哲学」

まず歌詞を転記します。

春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it’s fun to be 20
You say it’s great to be 30
And they say it’s lovely to be 40
But I feel it’s nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it’s fine to be 60
You say it’s alright to be 70
And they say still good to be 80
But I’ll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it’s sad to get weak
You say it’s hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it’s worth living
But I still believe it’s worth living

人生の扉 を聴く

ikura.com より転記

この歌詞は「哲学的」か?

たしかNHKの音楽番組(「SONGS」だったと思うのですが)、パートナーである山下達郎さんがこの曲の歌詞を評して「哲学的だ」とコメントを残していました。

何か引っかかるものを感じました。

この曲に限らず、まりやさんの紡ぎだす歌詞は「自分はこうありたい」という意思表示の色合いが強いと思います。

それは「哲学」と言えるのでしょうか、むしろ自分なりの「規範」や「道徳」といったほうがいいのではないでしょうか。

永井さんの「哲学」と、達郎さんの「哲学的」

先にも述べた通り、永井さんにとって「哲学」とは、

言葉の意味を掘り下げ、異なる解釈があることも認めていく。

そのプロセスを指すのだと思います。

一方、達郎さんがまりやさんの歌詞を「哲学的」と評したのは、その中に以下の要素を感じ取ったからだと思います。

  • 時間経過による心境の変化

  • 人生の有限性への気づき

  • 価値観の変遷

  • それらを言葉にして表現する営み

人それぞれ、哲学に対する思いは違う

言うまでもなく「永井さんは研究者、達郎さんはミュージシャン」だから、どちらの意見が正解に近い、と比較することに意味がありません。

なぜなら:

  • 「哲学」という言葉自体が、立場や文脈によって異なる意味を持つ

  • その違いを認めることこそが、実は哲学的な態度かもしれない

  • 比較して優劣をつけることは、むしろ両者の本質を見失うことになる

この違いについて考えを巡らせること、それもまた私にとっての「哲学」だと言えそうです。

違和感の正体に気付いた

いや、私が感じた違和感の原因、それはそんなことではないのです。

本当はもっとシンプルに「うちの奥さん、いい歌詞書くでしょ😉」と言いたいところを、

公共放送のアナウンサーよろしく「この歌詞は『哲学的』な域に達してます。」と言い換えてしまっている達郎さんが、なんだかおちゃめだな、と思ってしまった、ということです。

確かに、「SONGS」は日本放送協会(NHK)の公共放送でした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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