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経営職になったつもりで考える 、とは?ːゼロ秒思考 自主トレ編

最近よく見かける課題

最近、赤羽さんの勉強会で「経営職になったつもりでA4メモを書くよう意識づけしてみましょう」というコメントをよく見かけます。実際受講者のみなさんもそれにこたえてワークに励んでおられるようです。

正直なところ、私はその課題にどう取り組めばいいのかわかりませんでした。そもそも私は経営職ではなく、管理職の経験もない。どうすればその立場で物事を考えられるのかな?

とはいえ、いままで赤羽さんのメソッドで外したことはない、という自負もあるので、自分なりのアプローチはないものか考え直してみました。

経営職の目線に近づいた経験

そういえば新潟であんなことがあったな。
新潟支店にいたとき、社内イベントでの支店長のスピーチを書いてみたところいたく気に入って頂き、上司を通じてお褒めの言葉を頂いたのです。その方はその後本社の役員にまで昇進されました。当時係長だった私にも、経営職になる方に共感して頂けるメッセージを作れた。この経験は、私なりの手がかりになるのではないかと思いなおしました。

心がけている伝えかた

わたしがスピーチを考えるときに心がけていることは、主語や形容詞をあまり使わない、できるだけ漢字を使わない、四文字熟語や新着のカタカナ言葉は限りなくNG、読み込まなくても話せる、テンポを保って自然とゆっくりと話せる、といったことです。

読む方を原稿につなぎとめるよりは、自然に話題を誘導するきっかけ程度になればいいな、といった心持で文字を並べています。

私自身、仕事中は結構早口ですし漢字も用語も使います。「それって誰の意見?」という投げかけも頻繁ですし、「レジュメもアジェンダもない会議はあり得ない!」と周囲に述べています。

しかしそれとこれとは別の話ですよね。

気づきの連鎖

そうこうしているうちに、自分の周りの出来事や情報が自然とつながってきました

アンコンシャス・バイアス講習を通じて感じたこと

昨日、会社のオンライン講習で「アンコンシャス・バイアスに気づこう」という内容を学びました。人が無意識に持っている固定観念について、興味深い事例が紹介されました。

「交通事故に遭った父子、父親は死亡、病院に運ばれた男の子を見た医師が『これは私の息子だ』と叫ぶ。この時の男の子と医師の関係は?」という問いかけ、みなさんはどう思われますか?

答えは「この医師は女性、男の子の母親だった」。事前の説明に合致しますよね。多くの人が医師は父親だと思い込むので、どうつじつまを合わせるか腐心してしまいます。

その講習のまとめとして述べられていたのは、よき社会の一員として影響を与えていける会社にならないとこの先、生き残っていけないよ、という意識を社員に持ってほしい。つまり今染みついている固定観念を拭い去るよう心掛けてほしい、ということだと思いました。

役員のスピーチへの違和感

同じ日、当社の経営陣の一人が社外のセミナーで冒頭のあいさつに立っていました。社内の会議のメッセージでは常日頃から「社員や現場と寄り添って良い会社にしたい」と述べている方なのですが、そのセミナーのあいさつでのスピーチは様子が違いました。「こうした標語を朝礼で唱える」「こういった職制を設けて講習を受けさせる」「業務中のデータを見える化してトラブルの原因を突き止める」

あれ、いつもの常務じゃないぞ。

この言い回しや構成はどこかで見聞きしたな、ああ多分あの人が原稿書いたんだろうな。しかし、事前にどんな方向性にしたいのか常務に確認とらずに、自分の視点だけで原稿書いちゃったんだな、ひどいな。それとも、常務って裏ではこんなものの言い方をされているのかな?もやもやが募りました。

LinkedInの記事での気づき

Yahoo!の社長さんの記事が目に留まりました。

連休中、私はこんな映画を観るつもりです。みなさんもどうぞ!! 」

確かにその作品は今注目されていて、私も見ようかと思っていたものでした。政治の動乱時、陰謀渦巻く中で人々の生きざまを描くアクション、ということ。これは何かのメッセージでもあるのかな、と思いました。

方向性が、見えてきたかな?

そうこうアンテナを巡らせているうちに、自分だったらああやってこうしていけばいいのかな、と徐々にイメージができてきました。

経営者の視点で考えるということ=高い位置から物事を見ることではない

もともと自分にはそれは無理ですが、そうではないことで、できることがあるように思えてきたのです。

基本的には今まで通り「ゆらゆらしながら考える」のですが(笑)。

少し角度やスケール感を変えながら、取り組んでいきたいと思っております。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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