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前に進みたくて、「自分の個性だと思い込んでいた存在」を捨てた。
それは、学生時代に好きになったロリィタ服の事。
お姫様の様な夢の世界観に一目惚れして、
少しづつ買い集めて着て出掛けた。
お茶会やイベントに参加したり同じ趣味の子と一緒に出掛けて遊んだり、
見ず知らずの人に「素敵なお洋服ね」「可愛いね〜」等とよく声を掛けてもらえて嬉しかった事を覚えている。
ここ数年、
自分のやりたい事とは?
理想とする暮らしはどんな暮らしか?
自分の時間をどんな事に使いたいか?
その為にはどうしたら良いか?
こういった事を沢山考える様になって、去年から断捨離を始めた。
ロリィタ服に関しては、もはや無意識レベルで
「これは絶対居るから捨てられない。捨てるはずがない」という存在だった。
だけど、自分がこれまで必要のない物事によって膨大な時間とエネルギーを無駄消費してきたという事実に気付き始めてから、
日々の不要な存在を認識・選別して断捨離をする様になった。
そうして、もう何年も着ていない服について考えた。
どうして捨てずに取っておかなきゃいけないと思っていたのか。
どうしてこの服にしがみ付いているのか。
貴重だから?
珍しいから?
高かったから?
手放すと再入手が難しいから?
素敵って言ってもらえるから?
個性的だと思ってもらえるから?
1番最後が特にピンときた。
何もない自分が個性を手に入れたかの様に錯覚していたから
かもしれない。
なぜ個性的だと思われたかったの?
服と同じ様に、自分自身の事も「珍しい」とか「貴重」だと思ってもらいたかったんじゃないか?
「私は人と違うんだから」って錯覚する事で、自分の心の足りない何かを埋めようとしていたんじゃないか。
「これは私の個性だ」という思い込みにしがみ付いて、
折角手に入れたそれを捨てる事の様に感じていたから、手放したくなかったんだと思う。
それと、年齢を重ねて子供っぽいデザインの服が似合わなくなった。
似合わなくなった事実を認めたくなかった。
手放そうとすると
「もうこんな可愛い服は似合わなくなってしまった」という残念ながら事実だけど、それを認めたくない気持ちが強くて実際に手放せばその事実を認めた事になって、
ショックを受けたくないから手放す決心がつかず、そのまま持ち続けようとしていた。
だけど、悲観的な捉え方で古くなった過去の物にしがみ付いていただけだった。
老いを認めたくないネガティブな感情が有って、
好きだった服が似合わなくなった事実を認めたくないって気持ちと、
年齢を重ねて外見が老いる事は価値が下がる事、憐れまれる事。という様な世間の価値観(しかも女性限定)から来ていた。
だけど、こんな価値観でいる方が恥ずかしいと思う様になった。
ずっと手放したくなかったのはなぜか?を色々考えてみたら、そういう気持ちがいっぱい隠れてた。
けど今は目の前の服を見てもワクワクしないし、
着る機会もないのにクローゼットにしまったまま。
だから、フリマサイトで売ったり売れなさそうな物は処分した。
でも、他の生活ゴミと一緒には捨てたくなくて、
今までありがとう。と、せめて汚れない様に袋に入れて、さよならした。
絶対捨てられないと思い込んでた服の裏には、自分の恐れが隠れていた。
けど、前に進みたいと思ったからそれを手放した。
小さな事だけど、一つずつ自分の弱さと向き合ってそれを乗り越えていってる感覚がある。
こういう小さな積み重ねが自分で自信を作る事に繋がってると思う。