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「生徒主体」「探求学習」「グループディスカッション」という地雷

※前回の内容と通ずるところが多いので、そちらも読んでいただけるとより話が伝わると思います。また書いている期間がだいぶ離れたので、口調が多分変わってます。
私は現役高校生で、この地雷を軽視してこういうものを掲げている高校に入ってしまいました。今となってはとても後悔しています。同胞の高校生たちに共感を、教育関係者に問題提起を、受験生や保護者に注意喚起をする目的で書いていきます。もしかすると、こういったことを掲げた学校で成功しているところもあるかもしれませんが、成功例って高偏差値校、或いは保護者が厳格な学校ではないですか?うちは偏差値40代です。

1. 生徒主体=放任で先生が無責任、場合によっては犯罪隠蔽

生徒主体と聞くと、生徒が大人のように自立していて、生徒会や委員会などの組織は大企業のように動き、各々が予習復習にテスト勉強に受験対策にさらには高尚な本を読み…なんてものを考えてはいませんか。そんな訳ないです。
実際には、授業崩壊するほど喋り、ゲームや動画にお菓子に夢中。テストの点が低くても、授業態度や発言などで十分評価される為勉強なぞしない。生徒会は不良生徒にウケる公約(テーマパーク旅行、モバイルバッテリー貸し出し(学校で充電切れるようなのは100%ゲームです…)、有名人を呼ぶなど)を掲げます。学級崩壊もしまくりです。むしろ崩壊してないクラスは、先生方がマトモな生徒を隔離してあげる為に作ったのでは?というくらいに。
勉強は置いておいて、文化祭や学校行事はどうなの?ということですが。そちらも中々…。三々五々の集団がそれぞれ喧しいだけで、クラス一体ではまとまりません。自分のグループ以外の人は信用できないので、リーダーが居たとしても、全員には指示を出しません。
生徒主体は先生の怠慢と言って良いです。あらゆる問題を、生徒同士で解決しなさい、自分で考えろと投げます。本来先生が解決したり、指導しなければいけない内容もです。うちの学校の場合は、いじめ(複数件)、窃盗、備品破壊、喫煙、飲酒、公共交通機関不正乗車、交通マナー違反などなど。無法地帯一歩手前です。自分で考えろというのも大事かもしれませんが、生徒が罰則を犯したなら、それを教師は罰したり警察に突き出したりする必要があるのではないですか?
高校では様々な外部活動があります。停学などの生徒指導を受けた者は出られない、というものもあります。しかし、うちの場合は隠します。例えば、留学に行った者の中に犯罪キメて停学になったやつが居ましたが、それを留学のスタッフに言ったところ、学校から報告を受けてない、とのことでした。
生徒主体、は無法地帯です。物盗られたくなければ行かないでください。

2. 探求学習=調べ学習 曖昧な授業 ネットサーフィン&お喋り

探求学習は国が推めているそうなので、今では多くの学校が多かれ少なかれ取り組んでいるかと思います。しかし上手くやれているのは一部のようで、ネット中で先生や生徒の批判的な意見を聞きます。うちの学校の場合は、探求はいわゆる総合的な学習の時間と、他の科目でも探求的な授業スタイルを取っています。特に今回は前者の現状の課題についてです。
結論からいうと、授業中はネットサーフィンや自習、課題は調べ学習に近いです。理由としては、①受験科目ではないから、②先生が指導することや生徒同士で注意し合える自治がないから、③授業自体が当然のことを言っているだけで聞いていても意味が無さそう(明確に無いとは言いきれませんが…)だから、といった感じです。②は前項の通りです。③について例えば、「AIが驚異的に発達」「考えることが大事」「社会課題の解決方法」「自己理解」などなどを延々と話し続けられている状態です。勿論、ダメなことではないと思いますが、そのテーマでやる内容が無味なのです。例えば「社会課題の解決方法」なら、『ドラ〇もんの世界のように便利な道具がいっぱいあるとするなら、どの課題をどんな道具で解決しようとするか?』とか。超空想ですよ?わざわざ授業でやることか?
授業の目的は無意味とは言いませんし、意味を感じにくいだけなのかもしれません。ただ無味です。
また課題については、あくまでもうちの学校の場合ですが、『自分が好きなモノの好きである理由を考える』『自己紹介のwebサイトと動画を作る』などです。一見良いかもしれませんが、実情はカラッポです。前者なら友達と話してるだけの実質休み時間ですし、後者もテンプレートに沿って入力していくだけです。無論、実際に一度やってみることで難易度を推し量るという意味はあるのかもしれませんが…
うーーん…選択授業とか、放課後クラブとかでいいんじゃないかなあ

3. グループディスカッション(GD)=お喋り&非効率 相性に左右されまくり 沈黙


うちの学校のGDを用いた授業は主に3パターンです。①先生の解説はほぼなしで、教科書または問題が渡され、それを生徒が各々のペースで解くパターン。②授業の一部だけ(最初の20分とか)①で、あとは先生が普通に解説するパターン。③授業のベースは先生で、基礎の確認(中学や前学年まででやった知識の確認とか)や理由の考察(例:なぜ織田信長は天下統一をしたんだろう?とか)だけGDするパターン。 なお共通して人数は4〜5人程度、なるべく男女混合です。①③も②のように後々先生から解説がありますが頻度は高くないです。私が受けていた授業は解説は週1くらいでした。
数字が小さいほどGDの時間が長いのですが、99%の確率でGDの時間が長いほどお喋りやネットサーフィンの時間が長くなります。ダラダラ時間を取るよりは短時間でぱっと話し合ったほうがいいです。そちらのほうが活気も良くなります。
非効率についてですが、GD授業の最大の問題点といっても過言ではありません。そもそも高校までで習う内容の殆どは正解や原理理屈が明確ですから、教科書やNHK高校講座などを見れば答えが載っています。わからなかったとしても先生や塾講師、参考書などが噛み砕いて教えてくれます。ですから、分からないままで話し合いをする必要など一切ありません。時間の無駄です。答えの無い問いや、まだ解明されていないことについてなら話し合っても良いかもしれませんが、毎度それを授業でやるのは頻度高すぎますね。
相性ですが、これを言うと「授業なんだから人間関係の背景とか気にしないで話し合え」と言われそうです。でも現実問題、相性は大きい要素です。例えば、キャラでいえば、グループ内に真面目と不真面目がいて、不真面目は話す気も聞く気もないとか。知識のある人はとにかく議論したいが周りがついていけないとか。知識の少ない人やその科目が苦手な人は、基礎や前学年までの内容がわからないから話がわからないとか。またそれ以外には喧嘩や元カレ元カノ、場面緘黙など様々な問題があります。クラス30人で6グループあるとしたら、まともにGDできているのは1つくらいでしょう。
ちなみにですが、お喋りと議論が盛んになったり、話し手の声が小さいせいで聞こえないことが多々あります。

最後に

失われた三十年という言葉は、中学の社会科の教科書にも載っていますから、実際に経済が停滞したり他の国との競争に負けたのだと思います。その一端は、教育にあったのかもしれません。なら教育のスタイルを変えようとする流れもわかります。今がその実験期なら、トライアンドエラーをしっかりしてほしいと思います。長々と読んでくださってありがとうございます。𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬


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