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煩悩

小さい頃から、何かを成し遂げたい、と思うと、ついつい「褒められたい」「有名になりたい」「お金を稼ぎたい」等々の煩悩が湧き出てくる。

煩悩が出てくると、もうその夢は叶わないのが私の常だ。

大学受験の時も、そうだった。私の受験は、2023年だったのだが、2022年の4月ぐらいに、イェール大学を筆頭に数々の米国超名門大学に合格した方の記事がYahooニュースに載っていた。おまけに、私がどうしても欲しかった某財団の奨学金まで、獲得していらしゃった。

記事の内容はあまり覚えていないが、おそらく、その方がどんな人生を送ってきて、どんな経歴で、何に気をつけて受験に臨み、これから何を学ぶのか、みたいなことだったのだろうと思う。

その記事を読んで、私の心の中に浮かんだのは、「私も有名大学に合格して、インタビューされたい」だったのだ。

合格もしていない、ましてやすでに高校2年の4月(私の学校は9月始まりだったため、この時日本でいう高校3年の4月)なのに何の受験準備も始めていない(英米トップ大学の出願はあと半年、高校3年の10月頃から)というのに。

それまでは、少なくとも「有名大学に合格し」の部分が目標だったはずが、なんと「インタビューされたい」が上にきてしまったのだ。大体、大学受験の目標が「有名大学合格」という時点で間違えている。

もちろん、この記事だけが私が第一志望に落ちて、奨学金も取れなかった理由なわけはない。あり得ない。落ちたのは、ただの私の実力不足だ。

それでも、有名になりたいとかチヤホヤされたいとかの煩悩がなく、「この大学で、これを学びたいんだ!!」という情熱のみが、私の中に残り続けていたら、今私が見ている世界は違ったのかなあと思ったりする。負け惜しみかな。


とはいえ、私の原動力が、結果を得た先にあるご褒美ではないことが、18年生きてきてわかってきた。器用じゃないので、同時に2つのことや未来のことを考えると、現実から離れてしまってどっちもダメになってしまうのだ。二兎を追う者は一兎をも得ず、とはまさにこのこと。

小学生の頃の「この中学校に合格して、もっともっといろんなことを知りたい」とか、中学校の頃の「英検〇級に合格して、英語を身につけられたらいいな」という純粋な考えで、がむしゃらに努力する方が、達成できるタチなのだろう。

純粋に、一所懸命に。初心を忘れず、自分の目標に自分以外からの評価を求めないようにしよう、と思う。

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