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北村早樹子のたのしい喫茶店 第10回「シルビア 綾瀬店」

文◎北村早樹子

 東京に出て来てもう13年が経つ。引っ越しが特別好きというわけではないが、一度家に飽きるともうすべてが嫌になるので、これまでに6回引っ越ししている。その中でいちばん長く住んだのが、足立区綾瀬だ。アパートを2回更新して、結局5年半ほど住んだ。
 なんで綾瀬か。綾瀬に引っ越した当初は友人知人に驚かれた。文化的な匂いが全然しない街だというのは知っていた。駅前には大衆酒場とパチンコ屋しかない。とにかく飲兵衛が多い街だ。いちばん早い飲み屋は午前3時に開店する。朝から酔い潰れて駅前の植え込みをベッドのようにしてすやすや寝ているおっさんを何度も見かけた。安くて良い飲み屋がたくさんある。お酒が好きなら、楽しくてしゃあない街であろう。しかし、わたしは下戸で一滴も飲めない。じゃあなんで、綾瀬なんかに。
 綾瀬駅西口を降りて、少し高架下を歩くと、綾瀬川が流れている。ここは日本でいちばん臭い川と一時期は言われていたらしいけれど、現在は改良されていて殆ど臭いはない。その綾瀬川を渡ると、大きな要塞のような迫力のある立派な建物が出現する。
 それが、かの有名な東京拘置所だ。名だたる死刑囚はだいたい収監されている。そう、わたしはこの東京拘置所があるから、綾瀬に引っ越したのだ。
 と言っても、別に家族や恋人が中にいるわけではない。拘置所に面会に行ったことは一度もない。死刑囚には親族以外面会が出来ない。では誰が中にいるのか。

 坂口弘という人がいる。1972年2月、あさま山荘事件が起きた。そのときの連合赤軍の幹部のひとりが、この坂口弘だ。
 高校時代、保健室登校のアングラ少女だったわたしは、この連合赤軍事件を知り、図書館で調べるにつれて、なんてかっこいいんだ! なんてアツいんだ! これぞわたしの求めていた世界だ! と、その思想についてはあまりわかっていないにも拘わらず、陶酔していた。そして彼の著書『あさま山荘1972』を読み、彼が獄中で詠んでいる短歌の歌集を読み、坂口弘が大好きになった。

 連合赤軍のナンバー3の座にありながらも、無骨で不器用で何かと立ち回りが下手なため妻であった永田洋子を森恒夫にとられたりもして、あさま山荘事件後も、連合赤軍にいた殆どの幹部たちは、自殺したり思想を転んじたりしていく中、彼は思想を変えず、ずっと獄中で生きていて、ひとりで短歌を詠んでいる。その人生を思うと胸が痛んで、わたしはあまりに坂口弘が好きすぎて、彼に向けての歌を2曲も作ってしまったほどだ。(「解放」「千の針山」という曲。アルバム『明るみ』に収録)それだけならず、彼に手紙を書いたこともあるが、死刑が決まっている人とは、部外者は文通も出来ないということを知って涙を飲んだ。

 それぐらい、彼のことが好きだった。わたしの心のアイドルだった。だから、綾瀬に住んだのだ。

―屋上へ運動に行かむ 梅雨なれば 綾瀬川の水匂ひもすらむ(歌集『常しへの道』より)

 彼の詠む歌の中の情景と、自分の目の前の景色が重ね合わさり、わたしは興奮した。すぐ側に、坂口弘が暮らしている、ある意味ご近所さんだと思うと、なんだか心が華やいだ。どうか死刑執行されませんようにと祈りながら、東京拘置所の周りをぐるぐると散歩する日々だった。
 好きな人が住んでいる街、と言うのは多分にうれしかったが、この街の駄目なところ、それは、喫茶店がないところだ。それが嫌になって、2年前にわたしは綾瀬を離れた。しかし、わたしが引っ越してすぐくらいに、なんと喫茶店が出来たのだ。それも、足立区を拠点とする老舗大箱喫茶店、シルビアの綾瀬店が出来たのだ。

シルビア・綾瀬店の外観

 

入り口にはギリシア彫刻が飾ってある

 綾瀬には喫茶店がないので、わたしはときどき自転車を転がして(結構遠い)、西新井や梅島の方のシルビアに行っていた。シルビアは、これぞ大箱喫茶店という感じの、ゴージャスさと親しみやすさが同居した、わたしの喫茶店に求めるものがちゃんとある喫茶店だった。そのシルビアが綾瀬に出来たなんて。と言うことで、はるばる綾瀬に舞い戻り、お邪魔してみた。
 店内に入ると、赤い壁紙、赤い絨毯に、赤いビロードのソファ。素晴らしい、わたしの好きな赤色がいっぱい。早速機嫌がよくなった。席はすべてボックス席になっていて、他のテーブルと距離が取れるので、プライベート空間も守られる。おまけに、新しいお店だからちゃんと最新設備が整っていて、席にコンセントもあれば、WiFiも繋がっている。これは、仕事していいってことですか? 物書きには持って来いの喫茶店だ。

ゴージャスな店内

 ランチタイムはシルビア名物のお重に入った日替わり弁当もあるんだけれど、わたしはあんまりたくさん食べられないので、ミックスサンドとアイスコーヒーを注文。ミックスサンドはちゃんとトマトが入っていた! わたしはナポリタン愛好家であるとともに、サンドイッチ愛好家でもあるんだけど、ミックスサンドとうたっていても、野菜はきゅうりやレタス止まりで、トマトを入れてくれているものはあまりお目にかかれない。何故なら、トマトは薄切りにしてサンドしても水分が出て、全体がびしょびしょになってしまうことが多いからだ。家で、トマト入りのサンドイッチが食べたくて、作ってみたら見事にびしょびしょのぐちょぐちょになってしまって、たいへん落ち込んだ。だから、喫茶店でサンドイッチを頼んでトマトが入っているとわたしは得した気分になる。

北村さんお気に入りのミックサンドとアイスコーヒー

 アイスコーヒーも飲みやすく、結構大きめのグラスにたっぷりの量が入っているのでありがたい。うれしいことに、シルビアはすべてのフードメニュー、ドリンク付きのお値段になっている。
 ああ、シルビアがわたしの住んでいた頃からあったなら、もしかしたらもう何年か、綾瀬に踏みとどまっていたかもしれないなあ。なんて思いながら、千代田線でぽくぽくと帰路についた。
 東京拘置所は今日も厳かで、足立区の空は今日も灰色だった。

今回のお店「シルビア 綾瀬店」

■住所:東京都葛飾区小菅4―9―9 松岡ビル2階  
■電話:03―3603―8823
■営業時間:11時半~22時 
■定休日:無休

撮影:じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。


■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

7/26(火)
『アウト&セーフ』
場所:下北沢ろくでもない夜
時間:19時開場19時半開演
料金:前売3000円
出演:第十四代目トイレの花子さん、北村早樹子、白玉あも、かものなつみ
ご予約はwarabisco15@yahoo.co.jpまでお名前と連絡先を。


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