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北村早樹子のたのしい喫茶店 第26回「コーヒーハウスぽえむ 幡ヶ谷店」

 長谷川さんというその人に出会ったのは、今から12年くらい前で、当時わたしはいちばん人生がめちゃくちゃで、まあ詳細は書かないが、ちょっとオイタをしていた。人間、誰しも一度くらいはそういう時期があるものだろう。本名は名乗らず、素性も明かさず、仮名を通していて、長谷川さんはわたしのことをH子ちゃんと呼んでいた。長谷川さんも本当に長谷川さんなのかどうかはわからない。でも別にそんなことは問題じゃない。
 小柄で華奢な長谷川さんは当時40代の独身男性で、なんの仕事をしていたのだったかはちょっと忘れたけれど、まあ普通に働いていて、でも趣味は映画鑑賞らしく、映画秘宝を愛読していると言っていた。サブカル男子ってやつだ。わたしは素性を明かすとちょっとやばいなあとは思いつつ、しかし長谷川さんと話すのは楽しかったので、何度かお会いするうちに映画の話をするようになって、お互いの好きな映画を語っていると、金子正次脚本主演の、伝説の名作、『竜二』の話で盛り上がった。

 わたしはそこまで映画をたくさん見ているわけでもないし、詳しいわけでもないのだけど、『竜二』は20代前半の頃に見て大好きになって、レンタル屋のDVDを擦り切れるほど見た。ヤクザだった男が、結婚して妻と娘を守るために足を洗って堅気になるのだけれど、所帯じみた平和な暮らしはつまらなくて息苦しくて、結局、妻と娘を置いてヤクザ稼業に戻ってしまう、という、まあ身勝手な男の話なのだけど、それを本当にヤクザだった経験のある(これは実はホラ話だったという説もあるが)金子正次が自ら企画して脚本を書いて売り込んで、自分主演でなんとか作り終えたと思ったら、その直後に金子正次はガンで死んでしまった。というエピソードごとわたしはグッと来てしまっていて、商店街のお肉屋さんの特売に並ぶ妻と娘を遠くで見つめながら、無言で去っていくラストシーンは涙なしでは見られない。20代のわたしはそんな男の哀愁の背中にメロメロなのだった。

 そんな話を長谷川さんにすると、ぜひ見せたいものがある、と言われて、わたしたちはとある平日の夕方、初台で待ち合わせた。当時、わたしは実は初台に住んでいたのだけれど、素性を明かしていないのでそれは内緒で、初めて来ました〜というテイで落ちあった。
 山手通りを少し北上すると、不動通り商店街という寂れた商店街が、幡ヶ谷方面に向かって伸びている。少しの八百屋や美容院がポツポツと営業しているくらいで、殆どは潰れた商店が並んでいる状態だ。その商店街をわたしの一歩前に立って長谷川さんは張り切って進んでいく。こんな商店街で何をわたしに見せたいのだろう? とわたしは疑問に思いながらついていった。同じ初台でも、わたしの住んでいたのは代々木八幡方面だったので、こっち側には来たことがなかった。その日は秋口で、だんだんと日が短くなり、まだ16時過ぎだったが、夕陽が傾いてきていて、寂れた商店街を橙色に染めていた。
 商店街の端まで来ると、長谷川さんは自慢げに言った。
「ここ、ちょうどここからこの方角を見て」
 え? わたしは何を見たらいいのかわからなかったので困ってしまった。
「ほらほら、後ろのコインランドリー太陽」
「はい……」
「そうか〜わかんないか。ここね、『竜二』のラストシーンの商店街なんだよ。あなたにこれを見せたかった」
 帰りにTSUTAYAでまたDVDを借りて、久しぶりに『竜二』を見返した。すると、ラストシーンは確かにあの、不動通り商店街の端っこだった。特売のお肉屋さんはもう無くなっていたが、妻と娘が並んでいる後ろに見えているコインランドリー太陽は、同じフォントの看板のまま今もまだそこにあるのだった。
 長谷川さんはとても紳士なおっさんで、わたしが嫌がるようなことは何もしてこなかった。わたしたちはコインランドリー太陽の前で写真を撮って、そのまましばらく散歩して幡ヶ谷の6号通り商店街まで歩き、喫茶店に入った。当時はわたしはまだそこまで喫茶店に夢中になっていたわけではなかったので、わたしから喫茶店に入りたいと言ったわけではなく、ちょうどひと休みしたい場所にたまたまあったから入った気がする。長谷川さんもわたしもお酒が飲めなかった。
 あんなに『竜二』で盛り上がって聖地巡礼までしたにも関わらず、その後わたしはすぐにオイタをやめたので、長谷川さんとはそれきり会っていない。
 誰にも言ってないし、もう自分の記憶から消していたのだけれど、何故かふと思い出してしまったので、久しぶりに幡ヶ谷のぽえむへ行くことにした。

 幡ヶ谷駅を降りて甲州街道を渡ってすぐ、細道をちょっと入ったところに、コーヒーハウスぽえむはあった。黄色い看板が目印。天井からぶら下がる照明もほんのりと黄色で暖かく、テーブルはコーヒー豆を敷き詰めてあるタイプ。老舗喫茶店だけど、親しみやすさもちゃんとある、感じの良い店内である。思わず「ギャルソン」と呼びたくなるような、シュッとした男前のウエイターさんが出迎えてくれた。

 メニューを見ると、フードも充実していて、ハムエッグの乗ったトーストやポテトサラダの乗ったトーストなどもあるようだが、わたしは週替わりトーストの、秋鮭ときのこのトーストとアイスコーヒーをお願いした。アイスコーヒーは甘さを三段階、「甘め」「普通」「甘さ控えめ」から選べた。しばらくして到着したのは、トーストの上にソテーされたきのこと鮭がたっぷり乗った一皿。ナイフとフォークがついてきた。確かに、こんなご馳走トーストは手づかみでかぶりつくのは勿体無い。お上品にナイフとフォークでいただく。お味もとっても上品で、しかし食べ応えもあって、喫茶店フードのレベルを超えている。しかもオニオンスープまでついてきて、パンから作った大きめのクルトンが浮いていて、もうレストランか洋食屋さんのクオリティだ。

 アイスコーヒーも、酸味が少なくこんがりとした香ばしい深みのあるお味でとても好みだった。素晴らしい喫茶店ではないか。コーヒーもおいしい、料理もおいしい、雰囲気も品があるのに居心地もいい。アイスコーヒーをちゅうちゅう吸いながら、長谷川さんと来た時はどこに座ったんだったっけな、などと少し思い出に浸ってみたりした。
 ぽえむを出て、ちょうど長谷川さんと歩いた道を逆の方向に、不動通り商店街を目指して歩いた。大きな五叉路があって商店街のちょうど端っこ。コインランドリー太陽は未だに健在だった。こういう忘れられない思い出をくれるので、オイタも捨てたもんじゃないな、なんて思いながら帰った。


今回のお店「コーヒーハウスぽえむ 幡ヶ谷店」

■住所:東京都渋谷区幡ヶ谷2―8―10 
■電話:03―3374―7288
■営業時間:9時半〜19時(2月6日より当面19時までの営業) 
■定休日:なし

■北村早樹子のたのしい喫茶店バックナンバー

撮影◎じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

①北村さんと魚子(山田参助と小山健太)のツーマン・ライブ決定!

日時:3月6日(月)3/6(月)
場所:下北沢lete
詳しい情報は下北沢leteのHPをチェックしてください。

②TOKYO KIMONO SHOWにてライブ決定!

日時:3月26日(日)
場所:人形町ブルーミング中西ビル
時間:15時開演
観覧をご希望の方は下のHP内のグーグルフォームにご記入ください。


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