見出し画像

家がもつおもいで

だいたい2年前、私の実家は引っ越しをした。
私が大学に進学するため一人暮らしの準備をするのに合わせて、実家も引っ越そう。
たしかそんな魂胆で引っ越した。

それまではアパートに住んでいた。丸18年も。
同じアパートに18年住むって考えられないですよね笑
今でも前に住んでいた家の近くを通ると、住んでいた頃の思い出があふれかえってくる。
同じアパートに住む友達と毎日のように遊んだこと。中学生の時、友達と一緒に寄り道して帰ったこと。高校時代、部活(文芸部)の作品作りをするために親も寝ている部屋の電気を夜中までつけて作業していたら、両親に怒られて私が逆ギレしたこと。隣の家の兄弟の喧嘩している声が聞こえたこと。同じアパートに住む親戚の子供が可愛くてよく一緒にお散歩に行っていたこと。。。。
全部素敵な、大切な、私の幼少期・青春。

今の実家は、もともと母の叔母夫妻の家。
私はこの家を、「おばちゃんち」と呼んでいた。
私にとってこの家は、時々遊びに行く家。
もっと言うとおじいちゃんおばあちゃんがいる家というふうにも捉えていたように感じる。
物心がつく前に祖父母を亡くした私にとって、この家に住む夫妻は祖父母のような存在だった。

おばちゃん(母の叔母)は、料理が上手で、よくパウンドケーキを作って出してくれていた。私が1番印象に残っているのは、さくらの花の塩漬けがのったパウンドケーキと、ベリー系のパウンドケーキ。パウンドケーキの魅力がわかる前だったから、あまり好んでは食べなかった。
でも今思い返してみると、おいしかったなあって思う。
そしておばちゃんとは出かけることも多かった。
どこに行ったのかはよく覚えていないが、強烈に記憶に刻まれているのは、宝石展のようなものを見に行ったことだ。たぶんあれはおばちゃんと行ったと思う。
おっちゃん(母の叔父)は、奥出雲からわたしの街に来ている人で、ありがとうを、だんだんという人だった
よくダイニングに、おばちゃんのいる空間にいた。
土曜日のお昼時に行くと必ず、生活笑百科がやっていて、おっちゃんはこれが好きなのかなと思っていた。
また、車を運転することができたから、一緒にどこかに出かけたような気がする。

今書いた私のこの家の記憶は、この家からしたらほんの一部、ほんの6、7年の記憶でしかない。

この家にはもっといろんな人が来た。
親戚や友達、近所の人もたくさん来たという。
この家に残る、いろんな人からのハガキ、写真がそれを物語っている。
思えば、おばちゃんは社交的な人だった。
おやつ時に行くと、だいたい誰かいることが多かった。
どこかに出かけるのにも、お友達が一緒の時があった。
得意の料理を振る舞って、楽しい時間を過ごしていたのだろう。
そして、よそから来てくれる親戚の存在も、この家の夫妻にとっては嬉しいものだったのかもしれない。

ぜんぶ、この家が教えてくれている。

かつておばちゃんちだったこの家、
いまは私の実家になっているこの家、
どちらの家も同じだけど、
私の家族のものを置いて、私たちが住むと、私たちの色に染まる。
でも、もともとある家具とかをそのままおいておくと、元からのおばちゃんちの部分も残る。

ここは今私の家から持ってきた家具とおばちゃんちにもともとある家具が隣に並んでいる。
言葉が合っているかはわからないけど、2つのものが共存してる感じ。
なんだか不思議。

でも、残念なことに、
私は基本的に松江にいるから、毎日実家に帰れるわけではない。
今の実家に行くのは、帰るのは、ときどきのこと
少し寂しいな。

松江にいる時、何かのタイミングで、だったり
母と電話してる時に実家のことを思い出そう。
そうしたら、実家に帰ってるように感じられるのかもしれない。

そんな、思い出いっぱいのこの家に住むことができてうれしいな。
私の家族も、おっちゃん、おばちゃんもいてくれるこの家は、あったかいな。

いいなと思ったら応援しよう!