御代替わり 新斎宮 朝顔の姫君 なるべく挿絵付き『葵』①103
・ 御代替わり
御代替わりとなりました。
源氏は22歳で、大将となっています。
右大臣方の帝がお立ちになり世の中の風向きが変わり、源氏には面白くないことが多い日々となりました。
気が晴れず万事が億劫な気持ちでいます。
身分も高くなり、軽率な忍び歩きもできにくくなっています。
源氏の足が遠のいた先ではあちこちで心細く嘆いています。
「あの方が相変わらず私に冷淡でいらっしゃるのは、私が人を嘆かせている報いなのか(📖 報いにや なほ 我につれなき人の御心)」
源氏自身は、今は女院となられた恋しい方を思って悲嘆に暮れるばかりです。
・ 院(桐壺帝)と藤壺宮の新生活
39歳の帝は今は太上帝、桐壺院となられました。
それに伴って、27歳の藤壺宮は中宮から女院となられました。
院は、内裏から仙洞御所にお出ましになって、最愛の女院と、まるで下々の夫婦と同じように、睦まじく親しくお暮しです。
御譲位遊ばされて枷が取れたように藤壺宮だけを慈しまれます。
43歳の弘徽殿女御は、25歳になられた朱雀の春宮の御即位と共に皇太后となられました。
藤壺宮が以前にもまして桐壺院の御寵愛を独占していることがお気に召さないのかもしれません。
桐壺院には伺候なさらず、新帝の内裏にばかりおられます。
女院は、競争を仕掛けてくる方がいなくなって、お気持ちがとてもお楽になられたようです。
折々に管絃の御遊などを世の評判となるほどに度々華やかに催され、今の御生活はとてもお幸せそうです。
・ 冷泉の若宮
藤壺宮の4歳の若宮は、新春宮として内裏にお住まいなので、院もそれだけは切なく恋しく思されます。
女院は后腹の皇女であられるので、政治家の係累をお持ちではありません。
その為に春宮に血縁の後見者がおられないことが大層御心配で、院は、御信頼遊ばす源氏に万事の御世話をお申し付け遊ばします。
源氏は、心疚しさに胸が締め付けられる思いですが、一方で、我が子である春宮の御世話を公式にできることを大変嬉しくも思います。
・ 六条御息所とその姫君
そうそう、六条御息所のお産みになった前坊の姫君がこの御代の斎宮にお決まりでした。
いろいろ障りがあって潔斎の予定が延びて、姫君は今年は13歳におなりです。
源氏の愛情が信頼できそうもないので、御息所は、姫君が斎宮に定まってからずっと、姫君のお年若にかこつけて、御世話役として伊勢に下ってしまおうかと考えています。
そんな事情は院のお耳にも達して、
「弟が大層愛して華やかにしていらした方を、あなたは並の扱いをしていると聞くが、それはあまりに気の毒ではないか」
「新斎宮のことは姪ではなく我が皇女の一人と思っているのだ」「御息所ともども大切に思ってほしい」
「気紛れに任せて飽きれば棄てるような浮気沙汰は、世間の非難を受けることである」
など御不快であられますので、源氏も尤もだと思って畏まっています。
「相手に恥をかかせるようなことはせず、どの人も公平に扱って、女の恨みなど買わないようになさい」と仰せらます。
源氏は、「女院への懸想がお耳に入ったらどうしよう」と、冷たい汗を流しながら御前を退出しました。
御叱りを受けて、
相手の名誉の為にも自分の為にも好色がましい行動はよくないことだと思い、敬意を払うべき貴女にお気の毒なことをしているとは改めて思います。
でも、まだ公然と妻としての扱いはしないのです。
六条御息所の方も、29歳ですから、22歳の源氏との不釣り合いを恥じて隔たりのある様子をしていますから、
源氏もそれにかこつけて夜離れがちになっています。
御息所は、この不名誉が院のお耳にまで達し世の人にも知られてしまったのに、相変わらず誠意のない源氏の心を恨まずにいられません。
・ 朝顔の姫君
六条御息所という方のそんな噂を聞くにつけても、桃園式部卿宮の朝顔の姫君は、「その人のようにはなるまい」と改めて深く思います。
源氏からの文には、短いちょっとしたお返事などをごく稀に返すだけです。
そうは言っても感じ悪くして恥を掻かせるようなあしらいはしません。
決して絡みついて来ない距離感のほどの良さが心地よく、源氏は特別に魅力的な人だと思っています。
靡かぬゆえの執心が募ります。
源氏は20歳の姫君の煩悶などは知らないのです。
・ 葵上
26歳の葵上は、こういう当てにならない夫の心が気に入りませんが、
女性関係を隠すわけでもない人に言っても無駄と思うのか、あまり恨み言を言うことはありません。
何にもまして誇り高いのです。
今は、懐妊の初期の悪阻が苦しくて、心細く思っています。
源氏は、この人との間に子はできないのだろうと諦める心もあったので、その人が妊娠したということが新鮮で、改めて妻を愛おしく思う気持ちになっています。
左大臣邸では邸を挙げて皆が喜びに沸いていますが、長いこと叶えられなかった懐妊ですから、一方では、皆の不安も並々ではありません。
できる限りの潔斎祈祷などさせています。
・ 結局の夜離れ
そんなことなどもあり、源氏は心に余裕がなくなっています。
忘れるというわけではないのですが、六条御息所への訪問は間遠になりがちです。
📌 大将
📌 人を嘆かせている報いなのか
📖 我を思ふ人を 思はぬむくいにや わが思ふ人の 我を思はぬ(古今集)
古今集の中の『恋歌』でなく『俳諧歌』に置かれていて、滑稽さ、ユーモアを楽しむ歌のようです。
📌 斎宮
実在の方の朱雀帝の御代の斎宮の徽子女王は、退下後、村上帝の女御となられ斎宮女御と呼ばれたそうです。
この徽子女王が、斎宮に親の同伴はないという慣例を破って、規子内親王に随行して伊勢に下られたことが、六条御息所の随行のモデルと言われているそうです。
円融帝譲位で規子内親王が退下される頃には病を得ておられたようで、その年に薨じられたそうです。
📌 朝顔の姫君
朝顔の姫君は、『帚木の巻』で、紀伊守邸で、源氏が女房の盗み聞きしている時に、源氏が朝顔の花を差し上げたという噂話の中に出て来ます。
📖 式部卿宮の姫君に 朝顔奉りたまひし歌などを すこしほほゆがめて語るも 聞こゆ
朝顔には、
夜を共に過ごした後の朝の顔という夜を示唆する官能的なイメージと
昼過ぎには花が萎んでしまう儚さのイメージと
両方あるようです。
『夕顔の巻』に六条わたりの屋敷からの霧深い朝帰りの時に、朝顔が咲き乱れている描写があります。
真白く霧の立ち込める中での、官能的で儚い美しい場面です。
六条御息所と朝顔の姫君を、朝顔が結び付けているようです。
朝顔の暗示する恋と心変わりに翻弄される人と、心変わりを怖れて恋への警戒を解かない人として。
眞斗通つぐ美
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