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40 なるべく挿絵付き 夕顔の巻㉘ 空蝉の下向~青春との訣別


・ 空蝉の退京が決まる

伊予介十月朔日頃に空蝉を連れて任地に発つことになっています。

『十月 柿に目白図 十二ヶ月花鳥図 』酒井抱一  『楽宮下向絵巻』青木正忠     

「女たちを連れていくのでは大変であろう」という心遣いにことよせて、源氏は破格の餞別を与えます。

女房の下らむにとて たむけ 心ことにせさせたまふ 

それとは別に素晴らしい細工の櫛や扇などを、空蝉一人に秘密に贈りました。

・ 小袿を返す

道中の無事を祈って神々に供える幣帛の布類も大袈裟なように贈ってやり、その中にあの脱ぎ置いた 空蝉の小袿 も紛らせて、返してやりました。

内々にもわざとしたまひて こまやかにをかしきさまなる櫛 扇多くして
幣など わざとがましくて かの小袿も 遣はす

「また逢えるまでの形見の品として持っていたのに、袖が涙で朽ちるほどの時が経ってしまいました (📖 逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら 袖の 朽ちにけるかな)」
などと文を付けてやります。

   〖 文の内容の細かいことは煩雑になるので書かずにおきましょう 〗

贈り物と文と残した薄衣を受け取った空蝉は、餞別の使者が帰った後で、小君に小袿のことだけを言づけました。
「蝉の衣替えも終わった頃に、あなた様に返された空蝉の衣を見ても、空蝉の衣を裏返して纏い寝てみても、ただ泣かれるばかりでございます (📖  蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり)」

・ 通り過ぎる者たち

「並外れて意志の強い人だった」
「この私になびかないまま、こうして、心だけでなく本当の距離までも、あの人も、離れて行ってしまうのだなあ」
源氏は身に沁みて感じています。

・ 立冬

空蝉の発つ神無月の朔日とは暦の上では立冬です。
空はそれらしく時雨れてきて、日がな物思いに沈む源氏です。
「亡くなった人は六道のいずこへか、今日発つ人は遠い四国路へ、それぞれに去って行く」「残された身に孤独の沁みて秋が過ぎていく」
(📖  過ぎにしも 今日別るるも 二道に 行く方知らぬ 秋の暮かな)

『六道輪廻図』 ラサのセラ寺

夕顔と空蝉。
二人の中流の女が源氏の元から時を同じくして去って行き、源氏は一人、孤独の中に取り残された思いでいます。

   〖 お若い源氏君も、秘密の恋は苦しいものだとつくづく思い知られたことでございましょう
    中流程度の人をお相手になさった恋を知る者は皆、人に言うことでもないと口をつぐんでいたのでございますが、知らぬ人の中には、「いくら帝の御子でいらしても、お相手も皆様欠点のない方ばかりというのは作り話だろう」とおっしゃる向きもございましたので、ついあれこれ申したくなってしまったのでございます。
    お喋りが過ぎまして、弁解の余地のないことでございます 〗

📌 空蝉の衣を返す

夏の薄衣を夫に同伴する人妻に返してやることは、源氏からの訣別の確固たる意志の表明です。
夕顔との死別で深く刻まれた諦念にも拠ったでしょうか。

📌 夏衣 かへすを見ても

蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり
※裁つ と 立つ、発つ は掛詞。
※かへす:返却する、裏返す
※衣を返す:脱ぎ置いて行った空蝉の衣を返してやる、衣を裏返しにして寝る(夜着を裏返して寝ると恋しい人の夢を見ることができると言われていた)

Cf.
📖 いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜のころもを かへしてぞ着る(小野小町 古今集)
📖 鳴く声は まだ聞かねども 蝉の羽の うすき衣は 裁ちぞ 着てける
(拾遺集)
📖 忘らるる身を 空蝉の唐衣 返すは つらき心なりけり
(後撰集)

📌 かやうのくだくだしきことは…

『帚木』冒頭で
📖 光る源氏、名のみことことしう 言ひ消たれたまふ咎 多かなるに、いとどかかる好きごとどもを 末の世にも聞き伝へて 軽びたる名をや流さむと 忍びたまひける隠ろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひ、さがなさよ

(光源氏などとお名前ばかり輝かしいのですが、それは、ちょっと申し上げられないようなことだって多うございますよ。それを、不名誉な御名をお残しにならないようにと隠していらした秘密のことまで後世に伝えようというんですもの。本当に口さがないことですわ)

📌 訣別

恋の初心者の立場で先輩の経験談を伺おうという立場だった『雨夜の品定め』で中流の女のよさを説かれ、
方違え先の受領の人妻空蝉を襲い、執着して脱ぎ残された表着を形見として抱えていました。
その頃たまたま見出した市井のわけありげな夕顔に夜這って官能の魅力に耽溺しました。

夕顔に死なれ、空蝉に衣を返し、
『帚木』の冒頭から続いていた源氏の中流の女を探索する青春は、ここで終わりを告げます。
青春というにも若い、ジュブナイルと言いたいぐらいの、胸の痛くなるような若さの時でした。

時あたかも立冬のその日。死の深い刻印。
それから、忘れ難い恋と共に恋の季節は閉ざされて、暗い冬が始まります。
青春の疾風怒濤というか踉蹌たる雌伏の時です。

『死の島 』 ベックリン

そして、そこは語られないまま、暗い冬をやり過ごし、廃屋のあやかしの呪いかマラリアの病か、瘧病を得て、
三月の晦日に平癒の加持を受けに北山の聖を訪ねる小旅行に出かけると、そこからようやく18歳新生源氏の春、紫の物語が始まるのです。

                        眞斗通つぐ美


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