76なるべく挿絵付き 末摘花の巻⑭ 余談 青常の君 末摘花の実在モデル?
・ 青常の君
末摘花の実在モデルとも言われている方の話です。
宇治拾遺などに青常の君として登場されます。
渤海使との会見にロシアンセーブルを8枚羽織って度肝を抜いたという重明親王の御子息で、左京大夫 邦正という方です。
男性なのですが。
藤原忠平の娘を母とする同母姉妹に伊勢斎宮がお二人おられます。
末摘花の姫君の側付きの侍従は、勤め先を、賀茂斎院と掛け持ちしていました。
相似性、、あります。
父君たる実在の重明親王は上野国太守、御子息邦正は左京大夫。
末摘花の父君たる常陸宮は常陸国太守、御子息は兵部大輔。
相似性、、あります。
・ 宇治拾遺物語 青常の事① 左京大夫という人
村上天皇の御代に、『古き宮の御子にて』左京大夫という人がいた。
外見は、
痩せていて、背が高い。
鐙(あぶみ)のように後頭部が丸く突き出していて、冠の後ろに下げている纓(えい)は、背中から遠くに揺れている。
眼窩は落ちくぼんでいる。
鼻は高く赤い。
唇は薄く、歯肉が赤い。
髭も赤くて長い。
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📌 この外見的特徴は、
平安時代の人には奇形的に見えたのかもしれませんが、今の私たちが読めば、ただただ、ごく普通の西洋人、と感じるのではないでしょうか。
頭の前後径が長く後頭部が出ていて、彫りが深くて、髭が赤くて、背が高い。
外見以外の特徴としては、聡明とは言えず、頑固で、声は甲高く、肩を揺すって歩く。
顔色がひどく青いので(📖 色は花をぬりたるやうに青じろにて、色のせめて青かりければ)、
殿上人たちは、「青常(あをつね)の君」と呼んで、笑っていた。
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📌 この顔色ですが、今で言う『青白い』とは違うようです。
この後に続く嫌がらせというよりいじめの青尽くしの場面に出て来る物の色は、全て今で言う青色というよりはくすんだ緑色のようです。
貧血気味の青白さではなくて、もしかしたら、黄疸的な色だったのかも?
綺陽装束研究所様の御講義が素晴らしいです。
・ 宇治拾遺物語 青常の事② 帝のお叱り
若い殿上人たちが内裏に集まると、左京大夫を悪しざまに笑い立てているのが帝のお耳に入る。
帝は、これを叱らなければ、20歳上の異母兄の重明親王がお恨みになるかもしれないと仰せて、こんこんとお叱りになる。
皆恥じ入って、もう笑うまいと言い合う。
かくなるお叱りを受けた以上、もう二度と青常の君などと呼ばないという誓約書を書き、これに背いた者は、皆に酒や肴を振舞わなければならないという罰則も付ける。
ところが、幾らも経たないうちに、堀河殿 藤原兼通が、左京大夫の出ていく後ろ姿を見て、うっかり、「あの青常くんはどこに行くんだろう」と口を滑らせてしまう。
「さあ、決めた通りに、早く酒や肴を出してくださいな」と皆で責める。
兼通は拒んでいたが、あまり責められるので、「それなら、明後日、蔵人も含めて皆集まってくれ」と言う。
その日になると、蔵人の末に至るまで皆残らず清涼殿殿上の間に集まって、並んで待っている。
そこに、兼通が、香を焚きしめ光り輝くような直衣姿で登場する。魅力が溢れこぼれるような姿である。
・ 宇治拾遺物語 青常の事③ 青尽くし
直衣の裾から見える出衣(いだしぎぬ)は青、指貫も青。
三人の随身も、青い狩衣に青い袴。
うち一人には、青い猿梨を青磁の皿に盛って青い盆に載せたのを持たせ、
もう一人には、青竹の杖に青い山鳩を数羽付けたのを持たせ、
もう一人には、青磁の瓶に青い薄用で蓋した酒を持たせて、
皆の前にぞろぞろ出て来たので、皆は殿上の間が揺らぐほどに大笑いした。
帝がその騒ぎをお聞き遊ばして、昼御座と殿上の間の間にある小蔀から御上覧遊ばして、
兼通はじめお供も青い装束で青い酒肴果物を捧げ持っているのを皆が笑っているのだと御理解遊ばした。
お怒りにもなれず、帝御自らも大層お笑い遊ばした。
その後は叱る人もいないので、皆はますます青常の君と嘲るようになった。
…………………
📌 禁色の中の禁色 麹塵(きくじん)の色は、山鳩色と似ているかもしれないそうですが、人間が染めたのでなく自然の色だからお構いなしということでしょうか。
📌 残酷ないじめを仕切って喝采を受けドヤ顔のこの藤原兼通という人は、
・死の床にある時に、仲の悪い弟の兼家が、自分の見舞いに来たのかと思ったら門前を通り過ぎて内裏に直行して自らの関白昇進の工作をしていたと知って、四人の家来に支えさせて参内して、とにかく兼家の出世を阻止した、というので有名な執念の人でもありますが。
・袴着の頃の輝かしい美貌が大鏡に称えられています。
「きらきらと輝くような御美貌でいらした」「紅梅盛りの頃に、客が果てて参内する時に、一枝折り取って挿頭として、形ばかり舞っておみせになったのなどは素晴らしくお見事だった」
(📖 御かたちいと清げに きららかになどぞ御座しましし。堀河院に住ませ給ひしころ 臨時客の日 寝殿の隅の紅梅盛りに咲きたるを ことはてて内へ参らせ給ひざまに 花の下に立ち寄らせ給ひて 一枝をおし折りて 御挿頭にさして けしきばかりうち奏でさせ給へりし日などは いとこそめでたく見えさせ給ひしか)
…………………
御かたちいと清げに きららかな、最上級御曹司の美少年が、
大権力者の父師輔薨去の時期か、成人して堀河中将となった頃には、
📖 直衣すがたにて、かたちは光るやうなる人の、香はえもいはずかうばしくて、愛敬こぼれにこぼれて、
というような美貌の人に無事に生い立ったのに、
この根性の悪さはどうでしょうか!
生き馬の目を抜くような熾烈なポスト争いの渦中で根性悪くなければ生き残れなかったのでしょうが。
娘を円融天皇の中宮にするも、御子を儲けること能わず、15歳も若い、憎い憎い兼家の娘詮子が国母となります。
詮子の入内も知らずに没したのがせめてもでしょうか。
物語、御伽噺とはいえ、同じような容貌の末摘花に対して意地悪な底意を持たずに静かにいたわる源氏のエレガンスが改めて際立つような気がしてしまいます。
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📌 青常の君=左京大夫=源邦正 と 末摘花の姫君 の外貌と血縁関係の相似性は尋常でない気がします。
邦正は、重明親王の正室の子ということになっているのかもしれませんが、ロシアンセーブルを8枚羽織って渤海国人と交渉していた重明親王であれば、大陸のロシア系?などの美女などとの何かしらがあったのではないかなどと妄想してしまいます。
であれば、をこなる邦正さんが残っていた時代物の1枚を羽織ることもあって人の口に登って、式部さんの耳にまでその有様が届いていたのか?などとも妄想されてしまいます。
眞斗通つぐ美
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