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78なるべく挿絵付き 末摘花の巻⑯ 源氏19歳 正月7日 姫君の手抜かりを見る


・ 正月七日に末摘花を訪問

年が明けて、源氏は19歳となりました。
三が日も過ぎて、14日男踏歌に向けて、あちこちの家々で、若い公達は騒がしいことです。
源氏は寂しい常陸宮邸を気に掛けています。
7日白馬節会の後、御前から桐壺に退がった後、夜更けを待って末摘花の姫君を訪問します。

あの静まり返っていた邸内にも、そよそよと衣擦れの音が行き交って、常よりはだいぶ世間並の家らしくなっていました。
姫君にも少し物柔らかな雰囲気が加わってきています。
「去年と御様子が変わっているのかもしれない」「どんな風になられたのだろう」と朝の光が待ち遠しい源氏です。


・ 翌朝

日が昇る頃になると、源氏は、わざとぐずぐずして、ゆっくり出ようとします。
東の妻戸を開けると向こうの渡廊が屋根もなく毀れているので、少し降った雪に照り返すのもあって、朝陽が建物の奥の方まで差し入ってきます。

姫君は、奥から少し身を乗り出すようにして、源氏が直衣を着るのを眺めているようです。
横向きに寝ている頭の形もこぼれ出ている髪も美しく見事です。
「やはり髪の美しい方だなあ」「多少の援助を申し上げたわけだが、それであれから少し人並になられているといいのだが」「それを見届けてから帰りたいものだ」
源氏は、成果を期待するヒギンズ教授のような少々逸る気持ちで格子を上げます。

前に残らず見てしまった悔いがあるので、全部は上げないで、脇息に寄りかかって、鬢の寝乱れたのを直します。
ひどく古めかしい鏡台、唐櫛笥、掻上の筥などを使います。
夫用の整髪道具まで揃えてあるのが、栄えた宮家の往時を思わせるさすがの風情と思います。

わりなう古めきたる鏡台の 唐櫛笥 掻上の筥など 取り出でたり
さすがに 男の御具さへ ほのぼのあるを されてをかしと見たまふ

姫君の装束が今日はどこに出しても恥ずかしくない感じに見えるのは、命婦が奉った箱の中身をそのまま着ているからでした。
源氏はそんなことは知らないのですが、洒落た柄の人目を惹く表着のことだけは、何か見覚えのあるような妙な気がしています。

「春になったのですから、少しはお声を聞かせてくださいな」「鶯よりも何よりもあなたのお声が聞きたいのです」
(📖 あらたまの 年立ちかへる朝より 待たるるものは 鴬の声
と言うと、

姫君は、小さな声でやっと「囀る春は」とだけ言います。
(📖 百千鳥 囀る春は ものごとに あらたまれども 我ぞふりゆく
(春になって沢山の鳥がさえずり、何もかも新しくなるのに、私一人だけが年を取っていきます

「ありがとう」「あなたのお声が聞けて嬉しい」「年が変わり年を取った甲斐がありますよ」と笑って、
「夢かとぞ見る」と口ずさみながら、源氏は帰ります。
業平朝臣の「夢かとぞ思ふ」の悲しい驚きとは違う嬉しい驚きの様子です。
(📖 忘れては 夢かとぞ思ふ 雪踏み分けて 君を見むとは)
(ふと、夢かと思ってしまいます。こんな雪深い地に出家なさったあなた様を見奉るとは)

姫君は几帳に寄って見送ります。
口元を覆っている袖の脇から、あの末摘はなが鮮やかに突き出て見えています。
見苦しい容貌でありながら行き届いた挙措で優美に見えていた空蝉の女を思い出しては、姫君の不用意な疎漏と引き比べてしまう源氏です。

口おほひの側目より なほ かの末摘花 いとにほひやかに さし出でたり
見苦しのわざやと思さる

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📌 源氏は、朝の光を待って、姫君が垢抜けられたのを期待して見ますが、姫君は袖遣いが甘いので、真っ赤な鼻が見えてしまいます。
(📖 口おほひの側目より なほ かの末摘 いとにほひやかにさし出でたり)
源氏は、醜い女だなと思うよりも、嗜みのない女だなと思うようです。
(📖 見苦しのわざやと思さる)

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📌 『東の妻戸を開けると向こうの渡廊屋根もなく毀れているので、少し降った雪に照り返すのもあって、朝陽が建物の奥の方まで差し入ってきます』
冬の少し南に寄った日の出が、東向きの妻戸を開けた源氏の目に真っすぐに見えます。
向かいに東の対があると『廊』とは?となりますが、妻戸を開けた源氏の向かいに見えたのが中門廊だったらどうでしょうか。
中門廊という渡殿のボロボロの屋根を通過してきた朝日が、庭に少し積もった雪でさらに反射して、姫君の潜む母屋の奥まで光が入って行くことはあり得そうです。
東の対に繋がる渡廊の壊れた屋根からの光だとすると、渡廊は源氏よりも北側にありますから、そこから南に寄った冬の日の出の光が差し込んでくるのは、ちょっと考えにくい気がします。
日差しの向きから、渡廊は源氏から見て東側になければいけない気がします。
即ち中門廊。
この建物の構造は、Wikipedia様より 藤原頼長の宇治小松殿平面図から取らせていただきました。

東の妻戸 おし開けたれば 向ひたる廊の上もなく あばれたれば
日の脚 ほどなくさし入りて 雪すこし降りたる光に いとけざやかに 見入れらる

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📌 踏歌節会、男踏歌:

正月満月の頃、男踏歌は14日または15日に、女踏歌は16日に催されたそうです。
群臣が、清涼殿の東庭で、列を作り足で地面を踏みならしながら行進して歌い躍り、帝は清涼殿東孫廂でご覧になり、親王公卿は長橋で参席したそうです。
地を踏み鳴らすのは、五穀豊穣と子孫繁栄を祈って舞われる三番叟に今も残る同じ心でしょうか。
持統天皇の御代に漢人の踏歌があったことが日本書紀にあり、男踏歌は円融天皇の御代に中止されたそうです。
Cf. 女踏歌は、内教坊の妓女、中宮や東宮に属する女蔵人など四十人ばかりが舞ったそうです。

踏歌図は http://network2010.org/article/1878様より

🎦熱田神宮 踏歌神事

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📌 白馬節会(あおうまのせちえ):

正月七日、帝は紫宸殿に出御され、邪気を祓うとされる白馬が庭にひき出され、群臣らとの宴を催されたそうです。
現在では、宮中の行事ではなく、神事化されて、白馬奏覧神事というそうです。
🎦上賀茂神社 白馬奏覧神事


眞斗通つぐ美

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