今日投稿すれば260日連続!すてきです!とのこと

『こんばんは。お体にお気をつけてくださいね』とのこと。ありがとう。
 今から『天皇家の密使たち―占領と皇室』(高橋紘、鈴木邦彦、文春文庫)の読書感想文を書く。書名を検索すると副題が『秘録・占領と皇室』となっているものもある。昭和56年7月に現代史出版会から刊行の単行本と文庫本の違いだろう。私が読んだ文庫分の奥付には1989年3月10日第1刷とある。
 ちなみに昭和56年は1981年で1989年は昭和64年(平成元年)つまり昭和最後の年だ。文庫化したくなるタイミングなのは間違いあるまい。
 本書に興味を持ったきっかけは昨日のnoteに書いた。朝日新聞の連載記事『歴史のダイヤグラム』に載っていた昭和天皇の弟、高松宮と元首相の近衛文麿が京都の近衛別邸で極秘会談をしたという話が面白かったからだ。時は昭和20年1月。戦局が悪化し大本営は本土決戦に向けた作戦計画立案を急ぎ始めている。その状況下で近衛文麿は終戦工作を極秘で進めているのだが、その話が記されているのが第一章『「裕仁法皇」を幽閉せよ』だ。刺激的なタイトルである。内容も同様にスリリングだ。連合国側が突きつけるであろう戦争責任の追及を回避するため昭和天皇を退位&出家させ、仁和寺に匿うというプランを近衛は考えていた。憲兵隊に知られると逮捕されるので秘密裏に動き、皇弟の高松宮との密談にも大変な苦労をしている。近衛の計画に加わっていた吉田茂は憲兵隊に連行され40日間拘束された。雇っていた書生と女中が憲兵隊のスパイだったのだ。こんな具合に終戦秘話が進む第一章が最も緊迫している。
 第二章『密書「天皇退位せず」』は占領開始後の話となる。引き続き天皇の退位が問題となっているのだが、天皇退位に連合国総司令部(GHQ)が反対したことで最終的な解決を見た。この章では、それに至るまでの要人たちの動きが記されている。GHQの高官たちを招いてのパーティーや鴨猟が効果的だったようだ。それ以外にも色々な接待があった。日本刀による試し斬りのアトラクションも外国人には面白かったのだろう。おもてなしの精神が発揮されている。観光客相手に今も使えそうなアイデアがあるかもしれない。
 第三章『消えた勅語案』では天皇の「人間宣言」や「教育勅語」に関する話が綴られている。章の最後に教育基本法を見直す動きについて記されているのが興味深い。教育基本法は成立から約60年を経た2006(平成18)年に改正された。繰り返しになるが本書の単行本刊行は1981(昭和56)年だ。
 第四章『宮中に流れた讃美歌』ではキリスト教に関連する話題が集められている。キリスト教の布教に熱心だった”法王”マッカーサー元帥や天皇制の存続に動いた聖職者たちについて知ることができた。中でも、四年にわたり軟禁生活を強いられたバーン神父のエピソードが心に沁みた。温厚な人柄の神父は人々から敬愛され、可愛がっていたオームに死なれしょんぼりしているのを気の毒に思った監視役の刑事が代わりを見つけてきたそうだ。神父は後に朝鮮へ行き、そこで朝鮮戦争に遭遇、北朝鮮側に連行されて死去した。
 第五章『伊都君いつぎみの戦後』では占領期の皇族について描かれている。GHQから”皇族財閥”と名指しされるほどの資産を有していた皇族の数は削減された。十一宮家が「臣籍降下」して平民となり秩父、高松、三笠の三宮が皇族に残ったのである。これら旧宮家の皇籍復帰が近年になり話題に上っているが、少子化が声高に叫ばれるようになる以前の昭和時代に書かれた本書では特に触れられていない。
 第六章『残された天皇の祭祀』は政教分離に関する話題だ。私人としての天皇には信教の自由があり、それは守られねばならない。だが「公式参拝」となれば話は別とするGHQと神道界のせめぎ合いが見どころ。最終的に国家神道は解体される。占領軍は”シントウ・ナショナリズム”が日本の民主化を阻害し日本人を戦争へ駆り立てた根源だと考えていたからだ。章の最終節は『再び「天皇に私なし」となるか』とタイトルが記されている。その最後の文は『マッカーサーからプレゼントされた天皇の「私」は、また召し上げられるのだろうか』である。
 第七章『天皇”巡幸作戦”』では天皇が日本中を旅し国民と触れ合う巡幸の様子が描かれている。微笑ましいエピソードの中にGHQの思惑や随員たちのヤミ米要求などの裏事情も記されていて興味深い。
 最終章に相当する『触れたくない占領期――あとがきにかえて』では占領時代の資料の閲覧が極めて困難であることが記されている。公文書の閲覧を役所が許可しないそうなのだ。そんな過酷な状況下で執筆されたにしては、とてもよく調べて書かれていると私には思われた。二名の筆者の大変な苦労が偲ばれる。
 解説は袖井林二郎。法政大学教授、と肩書が記されている。この解説中に、外務省の公開拒否文書を筆者たちが入手したことが記されていた。実に興味深い話だ。優れたジャーナリストとは、こうでなくては! と思った。少し笑ったのは筆者の高橋紘と鈴木邦彦を解説者が「中堅ジャーナリスト」と書いていることだ。これだけ頑張っても中堅なのか。世の中は厳しい。
 まとめ。宮内省担当記者二名の労作である本書は、とても面白い。本書で描かれているのは昭和の、それも戦中戦後の日本であるが、取り上げられた内容は今日においても重要かつデリケートなものばかりだ。それは占領期の問題が令和になっても解決していないことを意味する。いや違うぞ、そんなことはない! という反論もあるかもしれない。そう言われると、そんな気もする。どっちなんだ! と問い詰められたら「眠いから検便して」と返答しよう。間違えた、勘弁してだった。そんなわけで、お休みなさい。え……待って、もうお空が明るいんですけど。日本の夜明けが来た。

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