今日投稿すれば294日連続!すごすぎ!とのこと
『ご自由にお書きください』とのこと。あ、予想とは違うオープニングだ。『読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?』ではないかと考えていたら別のものが来る。これもまた運命。
読書感想文を書く。取り上げるのは詩劇『ヴァレンシュタイン』(シラー作/濱川祥枝訳、岩波文庫、赤410-9)だ。実は、最初は別の本の感想にしようと思ったのだが、自分で書いた『運命』という言葉に運命的なものを感じ、シラーにした。どうして『運命』だとシラーなのか? それは私の勘違いが原因だ。ベートーヴェンの交響曲第五番『運命』と第九番『合唱付き』別名『歓喜の歌』がごっちゃになってしまい「ジャジャジャジャーンの『運命』はシラーの詩を合唱した曲だ」と思い込み「それなら今日はシラーの詩劇にしよう!」という運びとなったのである。間違いに気付いたら訂正しとけと思うけれど、訂正は訂正するとして、その後は疾風怒濤で行く(意味不明)。
表紙の袖に書かれた説明には「名実ともにドイツを代表する偉大な劇作家、シラー(一七五九~一八〇五)。三十年戦争を背景に、運命劇としてのギリシャ悲劇と性格劇としてのシェイクスピア劇の手法を融合発展せんとくわだてた、シラー渾身の、雄大なスケールをほこる傑作歴史悲劇。新訳。」とある。三十年戦争とは十七世紀のドイツで起きた新旧キリスト教徒の争いだ。日本だと戦国時代が終わった頃だが、ドイツでは戦国時代の真っ盛りといったところだろうか。
詩劇『ヴァレンシュタイン』の主人公であるヴァレンシュタイン将軍は、三十年戦争(一六一八~四八年)で活躍した皇帝軍(旧教側)の総司令官なのだが、神聖ローマ皇帝フェルディナント二世によって暗殺される。まさに悲劇の主人公に相応しい人物だ。ちなみに暗殺された理由は独断専行が多かったため皇帝の不興を買ったためだ。何しろ敵である新教側のスウェーデン軍と勝手に和睦しようとしたようで、プロテスタントが超大嫌いなカトリックの皇帝にしてみれば絶対に許せない仇みたいなものだったのだろう。
ヴァレンシュタインの最期は、信じていた部下に裏切られて死ぬという、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』っぽいもので(我が国における織田信長の最期にも似ている)、シラーがシェイクスピアに深く傾倒していた感じが何となく分かる気がする。
悲劇の恋人たちが登場するのも『ロミオとジュリエット』っぽいなあ、と思った。もちろん、そんなカップルはシェイクスピアの専売特許ではなく、他の劇にも普通に出てくるのだが。二人の愛の選択が、それっぽくて。
興味深かったのはヴァレンシュタインが占星術に深く傾倒していたことだ。同時代人の天文学者ケプラーが占星術師としての一面を持っていたのも、乱世を生きる人々の要請があったからだろう。当方の武田信玄も軍師を採用する際は足利学校で易学を修めた者を求めたそうだから、戦国期の武将は洋の東西を問わず占いの力に頼りたくなるのかもしれない。
ただ、その占星術師バプティスタ・セーニの登場シーンが少しだけだったのは、ちょっと意外だった。もっと出してやれよ(笑い)。
それにしてもヴァレンシュタイン退場後の三十年戦争の推移が気になる。
ヴァレンシュタインを裏切った者たちは、どうなったのだろう? この続きが知りたくて仕方がない。シラーが長生きしていたら、続編を書いてくれただろうか?
Wikipediaの三十年戦争を読んでみた。物凄く面白いが、裏切りや寝返りだらけで、何が何だか分からないよ。応仁の乱と雰囲気が似ている気がする。思うに、日本の戦国時代は徳川幕府の開幕という強固な支配体制の確立で幕を下ろしたのに比べ、三十年戦争は神聖ローマ帝国の弱体化というドイツの分権化で終結したので、そんな印象を抱いたのではなかろうか?
それはそれとして、本書は分厚くて長い(502頁もある)けれど、一気読みの一冊だった。そして、このセリフ全部を暗記する役者たちに拍手。
追記(22時43分)。驚いたことを書き忘れていた。皇帝軍にクロアチア兵がいる。この頃のクロアチアはオスマン帝国の支配下だと思うが、ドイツまで出稼ぎに来ていたのだろうか? それとも故郷を離れた兵隊かな? 三十年戦争は北はスウェーデン、南はクロアチアといった具合にヨーロッパ中から兵士が集結していたようだ(アイルランド出身の将軍もいて、物語の重要な役割を演じる)。
それとシラーが本作品を書いたのは、当時のヨーロッパが三十年戦争の頃と同じくらい激しく揺れ動いていたことと深く関係している、みたいな話が興味深かった。フランス革命の混乱は宗教改革期の混沌を、ヨーロッパ征服に乗り出したナポレオンはシラーの脳裏にヴァレンシュタインの再来を連想させたように思う。三十年戦争後に締結されたウェストファリア条約で無力化された神聖ローマ帝国はナポレオンに敗北し一八〇六年に消滅した。その最期を見届けることなく、一八〇五年にシラーは亡くなっている。