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生きる意味 一つの味わい
時として人は「許されたから生まれてきた」にも関わらず、生まれた瞬間から「許さない」環境に不運にも生まれ落ちてしまうことがあります。またそしてその環境により本人の心に"圧"が内在化し、それがノイローゼとして現れることがあります。
精神科医の泉谷先生は、人は「心・身体」と「頭」に分かれていると言い、時としてその「頭」の比重が大きくなると、「心・身体」が圧迫され、体調不良が起きやすくなる、と言います。
そしてうつの治癒では本人が真の意味で休息すること、が必要でありそれは「一刻も早く復職しなければ」と思っていたクライアントが、「あれ、毎日休日ってのもいいじゃん。」と本当の意味で休めるようになると、次第に「心・身体」の勢いが盛り返し、それが望ましく過程を経ると心と身体が一度主権を取り返します。
こうなるとその人にはうつが再発しないと言われ、というのもその訳というのは本人が「悩める」ようになったからだ、と言います。
え、うつが治ったのに悩める、ってどういうこと?と思われるかもしれませんが、うつの病態は「悩みの抑圧」であり、つまり悩むことをよしとしない、これであるのです。しかし真の休息を経ることによって心と身体が主権を取り戻すと、心と身体に頭が「開かれる」ので、心と身体と頭が共同する形になります。
こうなると本人は「悩むべき悩みを悩めるようになります。」つまりは本来のうつの治癒の姿は、悩みがなくなること、ではなく、悩めることを悩めるようになること、だと言うのです。
またそしてこう聞くといささか消極的に聞こえるかもしれませんが、この本人の悩みは人としての生き甲斐、や人としての本質と連関した悩みでありますので、本人が生きることそのものが一つの豊かな、情緒に富む、経験、となります。
私は以前「苦しむままが喜び」とか、「苦しいほど喜び」とか、「苦しむままが喜びの創作」という発言をしていますが、それはこの心と身体が主権を取り戻した後に、悩めることを悩めるようになった、つまり要するに「自分を生きられるようになった」ことを現しているのです。
こうなると人は生き生きとし、そして情操(じょうそう)という言葉を使っていますが、力不足ながらその心境を表すならば「心が青く、気恥ずかしく、それでいて情緒に富む、思わず顔を少し赤らめてしまうような喜び」を感じます。
そしてこれこそが生きる意味、つまり味わいということなのです。