悩めるだけ悩める時代を。
精神障害の治癒は悩みがなくなること、ではなくて悩むべきことを悩めるようになること、だと言います。精神障害に陥る場合、人は自分の悩みを抑圧してしまうのですが、この抑圧は悩みを無かったことにする、ということと言われます。カウンセリングでは、その悩みをある一定の表面上まで浮き上がらせて、しっかりと「悩める」状態まで持っていくことが大切だと言われます。つまり精神障害の根本治癒は抑圧している悩みをある一定まで引き出して、本人が悩めるように畑を整えること、にあるのです。
私がうつを治したと言いますか、根本的に変化があったのはとにかく何もしないと決めた一ヶ月がありました。そしてその一ヶ月のうちにこんこんと悩み続けました。そしてある時すべての思考が燃やし尽くされ、静寂な感慨が湧き上がる瞬間があったのです。
このときにおそらく悩み尽くすこと、を自分でやり、それがある程度焼却、滅却されたので、根源的なところで変化があったのだと思います。
またその時は過去に好きだったアニメや幼少の頃に影響を受けたものなどに触れており、より自分の根幹となる価値観を醸成したものに触れていました。その過程で何か自分のアイデンティティが浮き彫りになる感覚があり、その後に悩みが燃やし尽くされるようなフェーズに移りました。あるいは悩みを燃やし尽くした後に、自分に本当に大切なものが残った、というのでしょうか。
無論それを経験したところで、それまで自分を稼働させてきた「頑張らないと」という気持ちはあるので、そこからも何記事もブログを書いていくことになるのですが、明確にはその何もしないと決めた冬休みの間に、一度根源的な変化があった、ということです。
それからというものその変化の前と変化の後の水際と言いますか、そこのところを自分なりに述べ続けてきた感があります。私の力不足で思うように伝わらなかったかもしれませんが、とにかく悩みを悩みとして持てるように、悩みを悩み尽くせるように、そのようなことを意識して自分も心と脳を働かせ、文字を書いてきました。
もし私の記事を見て根源的に何か変化があった、それはもちろん私がその人を変えたのではなくて、私の言葉がその人の悩みを浮き上がらせ、その人がその人自身で悩み切った、ことによるものですが、もしそのようなことが起きたのであれば、私はそれこそ生きていてよかった、と言わざるを得ません。
押し付けるわけでもないですし、急かすわけでもないですが、何か精神障害に悩む人の内奥から起こる変化の起爆剤、起爆剤というと物騒ですが、伴走とも言えるような役割を果たせたのであれば、それは私にとっての誇りです。
言葉も拙く、どうも迷ってばかりの毎日ですが、悩める人たちが悩みをなくすのではなくて、とことん悩めるような時代になればいいな、と切に願います。