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野球少年団

朝の不快感は格別なものである。私は朝起きた後なんだか不快な感じが続くのですが、これはある種夢から戻ってこれない現象だ、と個人的に思っています。前も言いましたけれど、私の夢はいつも私が"孤独"なのです。それが嫌なわけではありません。夢の中ではその孤独が当たり前なのです。そして夢から覚めた朝は、とりわけその孤独感が残っているのと、その孤独感を感じさせる5年前の精神障害の時期が思い出されるのです。朝は5年前のあの誰からも見向きをされなかった、そして心が膿を出すように傷ついていた、躁鬱を患っていた頃に引き戻すのです。「君の名は」で大人になった瀧と三葉が朝起きるシーンがあるのですが、その三葉の起きるシーンが「過去を忘れられない大人、過去を引きずっている大人」を鮮やかに描写していて、そこにとても共感します。

昨日、創作大賞が終わったということで自分の気持ちを素直に書き綴りましたが、精神的な求道をしている人に何がしかの示唆があるような、このような作品を創りたいと話していました。でも今日朝起きてみて思うに、それは創作シリーズに限っての話なんだな、ということも感じました。現にこの自分の気持ちを羅列しているだけのポツポツひとりごとシリーズには、心情を羅列しているだけなのですから、そこに抽象化はなく、作品を創り上げようというよりも日々の日常を綴ろうという気持ちの方が大きいです。無論、この私が感じる日常も一度精神的に鬱を治癒したからこそ感じる世界ではあるので、そこに無意識的に誰かの心に響く言葉が生まれている可能性はありますが、それでも明らかに創作シリーズよりは体力を使わないのですよね。このひとりごとシリーズは。

今日はとても涼しいです。こんな涼しいだけで、気持ちは軽くなるものなら、やはり環境の影響は大きいなと思います。でもよく思うのは、「あれ、夏ってこのくらいの暑さだっけ?」ということです。私は北海道に住んでいるので、東京など本州の方に住まれてる方と比べたら全然かと思いますが、ここ最近の暑さを感じても、「ああこのくらいならまだ耐えれる」と思いました。というのも昨年と一昨年が非常に暑かったのと、鬱を患っていたのでただでさえ気持ちが鬱々と、熱がこもっている、感じがしていた。そこに本当に夏という猛暑が来て、二重の暑さに監禁されてしまった、これがとても地獄だったのです。それから私は夏の辛さを自覚し、今年はもう春の段階からあの過酷な夏が来る、ということを覚悟していたので、わりかし夏が来てみると、「あれ?こんなものだったっけ?」感が否めませんでした。

夏祭り、があります。私の町の夏祭りですから規模は小さなものですけれど、子どもの頃の憧憬が形作られたお祭りでもあります。私が機能不全の頃、ただただそれ自体が楽しかったのは夏祭りと3DSくらいでした。夏祭りのくじ引きで、いいのが当たればエアガンが当たった。それが欲しくて欲しくて、何度もくじを買いに行きました。やっていた野球の少年団も学校も楽しくなかったけれど、お祭りは楽しかったのです。

幼馴染の教師になった友人が夏に帰ってきます。私はその人とまた夏祭りに行けると思うと、何か心に浮き立つものを感じます。昔から変わらない町の夏祭りという情景に、もう色々と変化した私たち2人の大人が行けるということに対照を感じて、その人生の年輪の福を感じるのかもしれません。勿論まだ私は若造ですが笑、別に年輪の福を感じるのは何歳でもいいと思っています。

またもっと幸福なのは冬に何もないところをその友人と歩いてるところです。その友人とは冬にもよくご飯に行ったり遊んだりした。ただ雪道をお話ししながら話しているだけですが、それがまた私にとってはよかった。何でよかったのかと考えてみると、その時もおそらく私はうつ病だった。うつ病ということは少なくとも他者とのコミュニケーションに自信を持てない状態だった、でも私は友人と話した。そしてその鬱が治った。鬱が治ったら想像もしてなかった言語能力の向上や、人生の意義深さを学んだ。故に私はその友人が実はこれからうつに差し掛かっていくであろう人生の道程を歩むことを薄々勘づいている。なぜなら社会というものは綺麗事だけでは成立しないから。教師という仕事は生徒だけではなく教師側にも理不尽があるから。そしてその時に困った友人に対して、私は特段深く考えることなしに私の普遍化した、つまり突き詰めた悩みの対処法を話すことができる。それは特段辛気臭いモードにならなくても、ケラッと笑いながら話すことができる。それを聞いて友人は何だか少し気持ちが楽になる。こんなことをできる(もちろんそれは事前から準備するものではない)予感がするから、もう今の段階から心が浮き立って仕方がないのだと思うのです。こんなことを考えてみるに、自分の人生を真剣に生きるだけで、それが間接的に人の悩みまでも解消してしまうことがある、これが心の不思議で素晴らしさなのだな、と思うのです。

60代になって、今の同級生とスポーツができたら、どんなに素晴らしいことか。このようなことを以前呟きましたが、それはこのような友人との何気ない日常に夢を見た結果だったのです。最早人がいるだけでいい、人がいるだけでいいのです。

人は経験というものを積むにしたがって、自由になるべき存在だと思います。決して経験をすることによって不自由になってはならない。経験が身を縛ることがあってはならないと思うのです。しかし経験が身を縛るようになる人物は後を断ちません。なぜそうなるのかというと色々着眼点はあるでしょうが、結局のところその本人が自分を愛せてないこと、これに限るのではないかなと思うのです。そしてまた愛とは、単に自分を信じるというようなものではないと思うのです。愛とは自分という個人を超えた、何か大きな存在との繋がりを感じることであろうと思います。その大きな存在に目を開くことによって、この世界の美しさを垣間見る。もし単に自信、しかないのであれば決してその人物には世界が美しく見えないと思うのです。「自然にいながら、自然にいない。」

野球の少年団をやっていたとき、ピッチャーでうまくいかないことがありました。私は泣いていたのですが、成績が悪かった手前、誰も擁護してはくれなかった。しかしある1人のコーチが私をなだめてくれたのです。私はあの時はじめてこの世界で"大人のやさしさ"に触れた瞬間でした。その後父からは「お前が一つ試合を潰したんだからな」と言われましたが、私は今でもあの時私を励ましてくれたコーチを忘れていません。

この22年間で、大人のやさしさに触れることは2回ありました。一つは少年団のピッチャーでうまくいかなかった時。もう一つは同じく野球部でポジションを変えたいと言った時に監督がポジションを変えてくれた時。これがおそらく、私の悲しみをその悲しみの深さで受け取ってくれた大人のやさしさでした。私はこの19万時間に2回だけ、大人のやさしさに触れることができました。

優しさはどこから来るのかというと、苦しさから来る、とも言えなくもない気がします。真に苦しんだ人間しか、人に優しくなれないのだと思います。もちろん優しい人、という分類にされる人もいますが、真に苦しんだ人間の優しさには人を救う力がある。しかし現に苦しみの中途にいる優しさには原理的に励まし程度の優しさしか発揮されない。なぜなら現にその人物が救われていないから、相手を救うことができないからです。溺れている人ができるのは、一緒に溺れている人を沈むな!頑張れ!と言えるくらい。溺れてない人がロープで溺れてる人を救えるのだと思います。

談笑、ということをキーワードにします。私は何か一つ座右の銘があるかと聞かれれば、談笑という言葉を使いたい。尊敬する松下幸之助さんの道をひらくという著書に「談笑のうちに」という詩があります。私はそれが好きなのです。談笑というもので相手の"わがまま"を引き出す対話でなければ、どうしてまた生産性があがるのでしょう。どうしてまた、この世の中を変えるアイデアが生まれてくるのでしょう。人間の神聖な無為の好奇心が、どうして発現してくれるのでしょう。私は談笑のうちに、というものを座右の銘にしたい。それを抱えて10年生きたい。そうすればもう、おそらく生活の心配はしなくてよくなるでしょうから。

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