怒り
芸術は自己実現のものではなく、生きていくため描かなくてはならぬもの、それであると、私は豊かに1人に目覚めた人間として思います。
そう考えると芸術は苦しむままが喜びであり、私にとってそれは何ら塑像ではありませんでした。
塑像こそ堕落です。かといって彫刻的かと言われれば、塑像に果敢に向かって絶望の嵐が過ぎたその後に何がしか残るものそれが結果的に彫刻的である、これが人格形成であろうと思うのです。
果敢に塑像する。自分が底を打つ、結果的に彫刻的に人格が浮き彫りになる。この過程がおそらく苦しむままが喜びの創作であろうと、思います。
真面目であること、結果として人は鬱を患いますが、私はそんな人をこそ救いたいのです。何か世間ではそれが落ちこぼれだという浅薄な善として悪しき風潮を蔓延っていますが、残念ながらあなたたちと彼とでは圧倒的な大差であります。
皮肉なことに彼に真面目であれと言ったのはあなたです。しかしあなたという存在を見抜いた私はあなたのその後のリアクションも予想できます。
あなたはただ驚くのです。そしてその人を褒めるのです。なぜならあなたがあなたの能力中心にしかこの世界を見ることができずに、その定規から彼らがはみ出したからです。それゆえにあなたは驚いて、というより驚いたふりをして、「俺に比べてこいつは」という想いで彼らを褒めるのです。本来ならあなたが真面目であれと望んだのだから、何ら驚くことではなかったのに。
結局それはあなたの欲望と彼らの辿り着いた愛の、決定的な第一性質としての隔絶であります。あなたは欲望で彼らを褒めるが、彼らは愛であなたを拒否します。
あなたの苦しみこそが、世界の夜明けなのです。
そうすればこの書物が何らあなたに向けて書かれていないことをあなたはお分かりになり、永遠の螺旋という芸術の人格の保全の仲間に入ることでしょう。
楽しい、癒し、勉強。
そんなものを捨て去って、
あなたはあなたに目覚めてください。