あえて数えない(エッセイ)
1日置きに投稿している私のエッセイだが、今週は読書の事で占められていると気付いたつい先日。
もう秋は終わりな時期になったが、秋には『読書の秋』があった。
どうせだったら、今週は『読書エッセイ週間』にしよう。と言う事で、またまた読書、本のエッセイだ💦
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私は動画サイトで「読書vlog」をよく見ているのたが、読書vlogを続けて見ていると、貴方へのオススメとして関連の動画が出てきて、そこに良く表示されるのが『○月○冊読了』という読了した本の紹介の動画。
私自身、他の人が読んだ本の紹介動画を見るのは好きだ。けれど、○冊読了という文字を見ては「自分は数えたりしてないな〜。」と思ったりする。
○冊読了出来た!という感覚は、達成感と結び付きがありそうな気がするし、実際私はそうだと思う。
けれど、○月○冊読了した!という事を一旦始めてしまうと縛られてしまいそうな私も居るのだ。
○冊しか今月は読めなかった〜とか、色んな事を思いそうな私が居る。
現に、この時に読めていればな〜なんて後悔をしてしまうと最近のnoteに書いたばかりである。
ただの記録としてだけだったら良いのだろうが、私には、嫌な意味での付加価値の様なモノも一緒になってしまいそうだから、今月は○冊読んだか〜というのを、敢えて数えないでいる。
仮に、後になって読了数を数えようと思った時も、それが任務の様に感じたり、なりそうになった時点で終わりにするのが良さそうだ。
敢えて読了数を数えない。
私の小さなスタイル。
○月○冊読了というスタイルを否定したい訳じゃない。
本を読みたいから読む。
それが結果的に読了数になっていく。
それを数えるか数えないか。
ただ、それだけの違い。