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もう戻れない、この感覚(エッセイ)

春の終わり頃
たんぽぽが綿毛になる
綿毛になると
たんぽぽが 綿毛たんぽぽになる
風が吹くと綿毛が飛んで
まるで親と別れた様に思える
何故だろう

小学生の頃の自作の詩

上の詩は、私が小学生の頃に書いたであろう作品だ。
上の言葉をネットで探してもみつからないのだから、多分、いやきっと、小学生の頃の私が書いて作ったものだと思う。

大人になってこのノートの1ページを見つけて読んだ時、『私、自分ながら凄い詩かいてるな〜』と思った。

そして今の私には、もうこの時の様な純粋な感覚も見え方も出来なくなっている事にも気が付いてしまった。

………何だか、少し悲しい。

同じ様に見えている筈なのに、感じる部分が変に大人になって現実的になってしまった。

もし出来たなら、気が付きたくはなかった本当かもしれない。

今の私は思う。
この感覚、ものの見え方、感じ方、無くしたくなかったものだな〜と。

いつから、こういう事が感じにくくなってしまうのだろう。
どうして、こうして素直な感覚をこぼしてしまうのだろう。

こぼしてしまったのには、理由がある。

小さい頃の様な自由な感覚のセンサーは成長していくに連れ、少しずつ削れて短くなってしまったのだと思う。

その代わりに大きく伸びて膨らんでしまったのは、色々な邪(よこしま)な考えや自分をよく見せたい見栄が隠れているのかもしれない。

……嫌な感じになっちゃたな〜(笑)

これがもし、成長するということなら、私は全力で拒否をしたいものだが、もう手遅れになったのだなと思ってもいる。

けれど、子供の頃には出来なかった、分からなかった感覚も今の私はきっと持っている。

そうに違いない。

けれど、改めて子供の頃に作った作品を眺めては、『もう、戻れない感覚なんだな〜』と思ってしまう。

これはもはや、ないものねだりかもしれない。

でも、あの頃の私。
今の私はもう持っていないかもしれないけれど、この感覚はとっても素敵で、尊いものだぞ。

凄いよ〜!



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