『当たり前』基準はなあに?【再投稿】(エッセイ)
私も世の中もよく使う言葉。
『当たり前』
でも、その『当たり前』の基準というのは一体何処で決まったものなのだろう。
大多数=当たり前なんだろうか?
少なくても私はそう思って使っている。
辞書で当たり前について調べてみると、
①わかりきった、言うまでもないこと。 当然。
②なんの変ったところもないこと。
とのこと。
うん、そうだろうな。と思うが、私が言っている当たり前とは違っているような気がする。
そういうことじゃない。
当たり前って言葉は何?
当たり前っていう言葉の使い方の難しさは、普通という言葉の使い方の難しさと似てる気がする。
言葉は軽くても、意味や伝わり方。
どんな言葉もそうだが、当たり前という言葉は、特に誰かを縛り悲しませそうな気がする。
私はよく考え過ぎと言われる。
特に大人になってからそう言われることが増えたから、私自身もそう思う。
けれど、その考え過ぎる事が私には当たり前な事なのだ。
私の中での当たり前の基準。
言葉の基準を自分自身で決められたら良いけれど、そういう訳にはいかない。
だから、できる限り考えなければ。
言葉という魔法と呪文を使う生き物なのだから。
それこそ『当たり前』に、言葉の使い方を考えなければ。
綴りながらなんだか支離滅裂になってしまったが、これはこれで残しておこうと思う。
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