生命のララバイ(エッセイ)
今日も どこかで、私達の為に命を捧げてくれる動物達がいる。
私は、その動物達を運ぶトラックを、道で見つける度に思う事だ。
毎日当たり前に食べて、買い物して、そこに元々命があったことなど考えた事もない。……わけはないが、頭に浮かんではすぐに流れる。まるで、聞き流しにしている音楽みたいに。
それでも、そのトラックを見れば嫌でも分かる。
人間は、命を貰って生きている。
それも、何となくその意識が薄れて来たときに私はそのトラックを見ている気がする。
前にテレビに出演されていた外国人の女性の方が「今までずっと拒食症と戦ってきたけれど、日本の、いただきます。という考え方によって私は拒食症を克服することが出来た」と話していた。
小さい頃から理由も分からず、それこそ自然に「いただきます」といっていた私
年齢を重ねていくと面倒くささの方がまさり、いただきますを蔑ろにしていた気がする私。
いただきますは、命を貰っている感謝の言葉。そんな素敵で尊い言葉に救われた人がいる。
そんな事を忘れていた私を諫めるように、動物達を乗せたトラックは移動し、運んでいく。
運ばれていく動物達、豚、牛、鳥、などなど……は、自分達の行く先を自覚しているのだろうか………?
いや、何となく理解していそうな気がする。
そんな時間に聞く音が、トラックのエンジン音や町の雑踏の音なんて、何だかやるせない。
もし出来るのならば、私は流したいし聞かせたい。そして、聞かせてほしい。
命をララバイ。
命の、子守唄を…………。
今日もありがとう。
いただきます。