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【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた・第9話 記憶に残るひと ③

 グレーの柔らかい光沢のワンピース。そのフレンチスリーブから伸びている細い腕。指先には手入れが行き届いた華やかなネイル。ゆいあげた髪からおしげもなくさらされている白いうなじ。心を和ませるほんの少しだけさがった目尻。優しい茶色の瞳がゆっくりと俺に向けられた。

 一瞬、その瞳が見開かれ彼女が震えたように見えた。それはたぶん、俺しかわからない小さな変化だった。けれどすぐにプロらしく驚きをそっとしまいこみ、俺にも微笑みかけた。

「ユウさんのお友達も。ありがとうございます」

 一方の俺は、返事をすることもできなかった。美しく化粧を施し、艶やかな雰囲気を漂わせている女。けれど、それらを取り払ったあどけない素顔をよく知っている。

 十年まえに別れた元カノ、里奈だった。

 どうしてキャバクラで働いている? 仕事はどうした? この十年で彼女に何があったのか。一気に疑問が吹き上がったけれど、息を吐いてそれらを外に押し流す。今さら俺がそんなことを知っても仕方ない。

「……ああ。どうも」

 なんとか平静さを取り戻して淡々と答える。里奈を見つめ返すと、彼女の瞳が悲しげに瞬いた。俺はごくさりげなく彼女から視線を外す。里奈はなにもないように振舞っているのだから、こちらもそうやってやり過ごすしかない。
ため息をついたあと、作り物の笑みをひとつ、なんとか浮かべてみせた。

「よろしくね」

 里奈ではなく、もうひとりの女の子のほうに視線を移してそう言うと、よろしくお願いしまーす、と明るいのんびりした声でかえしてくれたから、なんだかほっとして頷いた。

「大介さん。あゆみちゃん、かわいいでしょ?」

 皆でソファに座ったあと。開口一番、ユウがうれしそうにたずねてきた。これはなんの罰ゲームなのだろう。連れてこられたキャバクラで元カノと再会。その元カノに夢中になっている後輩。思わず宙を仰いでため息をつきそうになるけれど、おかしなことは言えない。言葉を選びながら話す。

「ああ、うん、美人さんだね。それからえーと、りりちゃんだっけ? りりちゃんもかわいいから、当たりだね今夜は」

 りりと名乗った女の子が無邪気に顔をほころばせた。間違いなくりりだけが、この場でニュートラルな存在だ。基本彼女と話をするのが一番無難だろう。

「ありがとーございます! えーと、大介さんって呼んでもいいですか? ユウさんもそうですけど、大介さんも優しそう! それにモテそうですよね」  

「ああ、大介さんモテるよ」

 ユウがニヤニヤしながらそう言うから、余計なことを言わせないためにも、モテねえよと奴に向かって不貞腐れたように言ってやる。ユウがいれたウィスキーのボトル。里奈が水割りを作ってどうぞ、と俺の目の前にグラスを置く。綺麗に手入れされた指先。昔はネイルなんてしていなかった。ありがとうと、離れていく指先に呟く。

 里奈と理名と。過去と現在に挟まれてしまったみたいな感覚に陥る。

 昔、職場で里奈に一目惚れをして、一気に心が走り出した加速感を思い出す。なにかにとりつかれたように、猛烈にアタックしまくり付き合うことになった。けれど、同じ勢いで理名にも惹きつけられている。里奈と別れたあと、ゲーマーとして集中するために、本気の恋なんてしないと決めて十年。特定の彼女なんてずっといなかったのに、今は理名に夢中だ。

 俺は“りな”という名前の女に否応なしに惹かれてしまう星の下生まれたのかもしれない。そんなバカなことを思いつき、小さく首を振った。

「お二人は仕事仲間、なんですね」

 里奈のその声にハッとする。

「うん、そうなんだ」

 ユウが機嫌よく頷く。俺たちがプロゲーマーだという話はまだしていないらしい。グラスを持ち上げる。氷山みたいな形をした氷。それがライトに照らされ飴色に光ってくるりとまわり、カランといい音をたてた。里奈の視線を頬に感じ、なんともいえない居心地の悪さを感じて一気にウィスキーを流し込む。

「でもこの人は別格。みんなが目標にしてる人」

 あやうく飲んでいるウィスキーを吹きそうになった。ユウにそんなことを言われたのは初めてだ。

「おい、ユウ、なんだよそれ。びっくりして、吹きそうになったよ」

「普段はあんまりいわないけど。本当にそう思ってますよ?」

 キャバクラにつきあったから、リップサービスのつもりなのか。俺はため息をついた。

「ハイハイ、ありがとね」

「うわ、大介さん感じ悪っ」

 ユウが肩をすくめてそう言うと、りりがケラケラと楽しそうに笑った。

「どんなお仕事しているんですかー?」

「ユウ、言っていいの?」

 たぶん言うつもりで、俺の話をしたんだろうとは思いつつ確認すると、ユウも大丈夫ですと笑う。

「ゲーマー。プロのね」

 そういった瞬間、里奈が身じろぎしたのが、視界の端を掠めたけれど、見ないふりをする。

「へえ! ゲーマーさん?  わたし、シャドバとかマリカとかなら、やります!」

 リリが楽しそうに話に食いついてきたから、つい笑ってしまう。

「ゲーム、好きなんだ。俺らは格ゲーだけどね」

「格ゲーもゲーセンでやったことありますよ?  元カレが好きだったんですよー」

 なにげなく放たれた元カレというパワーワード。必要以上に動揺して、今度こそウィスキーを盛大に吹いてしまった。




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