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【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた・第15話 愛したひと、愛するひと①

 理名と別れて、部屋に戻ってきた俺は、どさりとソファにすわりこんだ。

『大介さんは忙しいし、あんまり邪魔しちゃいけないから』

 別れ際、まるで泣きべそをかいた子供が笑ったような表情で手を振った理名を思い出し、胸が痛んだ。あさってからシンガポール。夜には羽田を発つ。準備もトレーニングもしなきゃいけないのに、いまひとつ精彩を欠いてしまっている。

 理名も俺がどこか上の空なのをわかっている。ぼおっとしているようで、俺のことをよく見ている。さっき会っている間も、泣いたりすることもなければ、文句をいうこともなく。一生懸命場の空気を和らげようと笑っていた。

 けれどふと気づくと、じっと俺の顔を見ていて、目があうと唇を微かに震わせて、また壊れそうな笑顔を浮かべたりする。理名にあんな表情をさせるのはたまらない。かといって、里奈のこと、正確には子供のことが気になってしまうのも、止められない。あの親子の後ろ姿を見たときから、そのことが頭の片隅を占領してしまっている。

 子供が身近にいないから、あの子が五才くらいなのか、十才くらいなのか、遠くから見ただけじゃ俺には判断がつかない。けれどもし、あの子が俺の子供だとしたら? それならば、いままで隠すのもおかしいし、あんな苦しそうに子供がダメになってしまった話をする必要があるとも思えない。

 じゃあ一体誰の子どもなんだ?

 そこでまた袋小路にはいってしまう。そもそも里奈は一言も子供がいる、なんて話をしなかった。あいつが言いたくないのだから、そのまま見なかったことにすればいいのかもれない。里奈もそれを望んでいるとしたら、俺がこだわる必要があるのか?

 もしかして、これは俺自身気づかなかった里奈への未練?

 違う、と思わず口に出してしまい、部屋に響いた自分の声に驚き、苦笑が口元からこぼれた。俺の子供だってこともありうる、だから確かめたいだけだ。ひとつ吐息をつく。ぐだぐだ考えても埒が明かない。アジアツアーに行く前に、この堂々巡りをおわらせなくては。そう心を決めてスマホを取り出した。

 ユウに里奈の連絡先は聞いていた。

『タカヤナギちゃん、心配してましたよ?』  
『大介さんを無理矢理キャバクラに連れていかなきゃよかった』

 そんな風に散々ボヤかれたあと、こう言った。

『大介さん……、それってタカヤナギちゃんと別れて、あゆみちゃんとつきあうってことですか?』

 真面目に聞かれてしまった。ユウは人がいいから多少の責任は感じているようだった。けれど、自分が惚れている女に元カレである俺に会うのは、面白いことじゃないだろう。理名が一番大事なこと。ただ、彼女の子供のことが気になると、伝えた。

 子供、と聞いてユウは少し黙った。勘のいいヤツは、何かを察したようだった。それ以上何も言わず、里奈の電話番号を俺に教えてくれた。

 手元にある数字の走り書きを見つめる。里奈と別れて十年、俺は日本初プロゲーマーとしてがむしゃらに突っ走ってきた。他のことはすべて後回しにして、全神経を格ゲーに集中し、世界トップにも上り詰めた。

 けれどゲーマーとして月日を重ねてきた今、節目をむかえている。若い才能ある奴らが台頭してきているなか、動体視力や反射神経を酷使する格ゲーでは、三十代半ばの俺はピークを越えつつある。

 そんな時、ゲームばかりだった俺の人生に、理名がいきなり飛び込んできた。この十年、女に心を動かされることなんかなかったのに。気がついたら強く惹かれていた。そして時を置かずに里奈との再会。本気で愛して結婚しようと思っていた女。

 ただの偶然とは思えなかった。人生でまた、何かを捨て、何かを選び取らなくてはいけない時期になったのかもしれない。里奈と理名と。過去と現在いま。ちゃんと向き合わなくては先に進めない。

 ひとつ吐息をついたあと、スマホに視線を移す。ゆっくりと番号をタップし、最後に通話ボタンを押した。


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