【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた・第16話 ずっと一緒にいたい人 ⑤
「里奈とは本気でつき合っていて、結婚することを考えてた。十年も前の話だけどね」
予想はしていたけれど、実際彼の口から直接聞くと、胸のなかの空気をぎゅっとしぼりとられたみたいに苦しくなる。
「やっぱりそう、なんですね」
「うん」
大介さんは、わたしから視線を逸らしたりしなかった。だからわたしも彼を見つめたまま、問いを重ねる。
「どうして、別れてしまったんですか?」
「別れた、というかフラレたんだよ。それも、突然だったから納得できなくてね。それでも結局彼女の意志を受け入れて、関係は終わったんだって、当時はそう思ってた」
大介さんは小さくため息をついたあと、考えをまとめるように、ゆっくり口を開く。
「でも十年ぶりにたまたま再会して。会って話したときにね、色々な行き違いがあったことがわかって。俺との子供ができていた、って話も、その時に聞いたんだ。それで……」
頭が真っ白になるってこういうことなんだ、と理解してしまう。混沌とした感情が、コントロールできずに、言葉になって出てしまう。
「もしかして、その頭を打った女の子って大介さんの……?」
自分の声に驚いて、慌てて唇を引き結んだ。緊張で背中が震えてしまう。大介さんはわたしをみて、切なげに目を細め、そっと首を振った。
「別れた旦那との子供、だって。子供は駄目だったらしい。今回、彼女にコンタクトをとったのも、それを知りたかったから。ごめん。理名からしたらこんな話、聞きたくないよな」
大介さんの子供じゃなかったことにほっとしたのと、子供ができていたという事実と。それらがわたしの唇を震わせる。結婚を前提につきあっていたということよりも、さらに深い縁が二人の間にあった事実。それを目の前につきつけられたような気がした。
前にりなさんと会ったときのことを思い出す。彼女がまだ、大介さんを愛しているとしたら? 大介さんはどうするの? 不安や心許なさ、小さな嫉妬まで。わたしの心は、嵐のなかにいるように、ゆさゆさと不安定に揺れてしまう。
「理名」
わたしを呼ぶ低い声。恐る恐る顔をあげると、心配そうに見つめている、大介さんと目があった。目尻に寄せてられている小さな皺。いつもは笑うときにできるのに、今は切なげな表情を形作っている。
わたしの気持ちを汲みとろうと、心を砕いてくれているのがわかる。疲れているはずなのに、こうして夜中、病院から直接タクシーを飛ばして来てくれた。言いにくいことも、ちゃんと話してくれている。それはもう、正直すぎるくらいに。
十才近くも年下で、単純すぎるくらい単純なわたしに対して、シビアな駆け引きに長けていなければ、生き残れない世界でトップを守ってきた大介さん。彼からしたら、わたしなんか簡単に丸め込めるはずなのに、そうしない。
それはきっと、わたしのことを真剣に想ってくれているから。嘘をつかれたり、黙っていられたりするのが嫌だって思う、わたしのことをよく理解してくれているから。
だからこうして。不器用なくらいちゃんと、向き合ってくれている。そのことがすとん、と胸に落ちてきた。ガサガサと荒れていたはずのココロに、温かくて優しい湧き水のような感情が溢れだして、満たされていく。思わず彼の手首を掴む。大介さんが、ほんのすこし首を傾げた。
「どした?」
わたしの表情をみて、安心したように微笑むから、自然に微笑み返す。やっぱり彼にはわたしの考えていることなんてお見通し。それでもちゃんと、口に出して言葉にする。
「話してくれてありがとう」
大介さんは、こまったように瞳を細め、わたしの腰に腕をまわして、ぎゅっと引き寄せた。
「ごめんね。心配かけて」
耳元で響いた低くて掠れた声。ゆっくりと首を振る。大介さんも、もしかしたらわたしの反応が心配だったのかもしれない。指先がじん、と痺れてくるような、愛おしさがこみあげてくる。
すごく年上で大人なのに。そんなもの全然関係なくて、ただただ大介さんが愛おしい。わたしも彼の背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめた。