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【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた 第13話 心を乱すひと ④

「大介が……女の人と、ホテルにはいっていく写真」

「はあ?! なにそれ?!」

 声を抑えたつもりだったのに、かなり響いてしまった。ひとつ咳払いをしてから、できるだけ感情を抑えて言った。

「お前とつきあっているときに俺、浮気なんてしたことなかったって断言できる」

 里奈も困ったように小さく頷いた。

「うん。大介の性格を考えたら、ゲームに打ち込んでいるときに、チャラチャラ女の人とホテルに行くとかありえない。写真は合成したものだったと思う。毎日机やロッカーに入っていた実際に撮った写真は、リアリティをだすための前振りだったんだって、すべてが落ち着いた後気づいたの。だけど……その時は冷静に考えられなくて……」

 俺は思わず乱暴にカップを置いてしまう。かちゃりと音がたって、里奈がびくりと体を震わせた。

「……どうしてその時に聞いてくれなかったんだよ。俺、そんな写真、絶対にインチキだって説明できたぜ? 今更そんなことを言われても、もうどうしようもないじゃん」

 声はなんとか抑えたものの、怒りが収まらなくなってくる。里奈が唇をかみしめて俯いたから、暴れだしそうな怒りをなんとか堪える。

「……ごめんなさい。本当にそうだよね。後悔しても、しきれない。だけど、あのときの私は……普通の状態じゃなかったから。何も考えらくなってしまったの」

「普通の状態じゃない? どういうこと?」

 一緒に住んでいた時に普通じゃない、なんて感じたことはなかった。というか俺がゲームばかりやっていて、気づいてやれなかったのか。里奈の口がさらに重くなる。俺はじっと待つ。昔この間が待てずに、いつも先に話してしまい、里奈の言葉を奪っていたのかもしれない。俺もやっぱり若かったんだとほろ苦く思う。

「あのね」

 ようやく里奈が口を開いた。

「うん」

「……私、妊娠していたの」

 驚きのあまり、声がでなくなってしまった。里奈が申し訳なさそうに瞳を伏せた。

「妊娠したことによる鬱だったんだと思う。でも自分では妊娠していることにも鬱にも気づいていなくて……」

 体の力が抜けて思わず背もたれにどさりと体重を預けてしまった。里奈が妊娠していたなんて、想像もしていなかった。しばらく俺たちの間に、重たい空気が流れた。

「……赤ん坊、子供はどうなったんだよ?」

 ようやく出た声はやはり掠れてしまった。里奈はしばらく黙っていたけれど、やっとのことで開いた唇は微かに震えていた。

「実家に連れ戻されて会社も休んで。部屋でずっと泣いていたの……。大介が何度も連絡をくれたり、家に来てくれたのにうちの親に追い返されているのも知ってた。ごめんね。会う勇気がなかった。涙が止まらなくてね。数日そんな調子で過ごしていたら、お腹が痛み出して……」

 目尻に滲んだ水滴が大きく膨らみ、大粒の涙になって白い頬を零れ落ちた。

「赤ちゃん……いなくなっちゃったの。私……私のせい」

 里奈は俯いて肩を震わせた。俺は呆然と彼女を見つめることしかできなかった。そのまま何分も沈黙が流れる。ただ店のざわめきだけが俺たちの間を漂っていた。里奈がようやく顔をあげた。目は真っ赤だったけれど、微かに微笑んでみせた。

「会社をそのまま辞めてしまったあと、しばらくして課長から連絡がきてね。砂川さんが少額だけど、会社のお金を使い込んでいることが発覚して、そのことを調べている最中に私への嫌がらせも告白したって。あのホテルの写真も、嘘だってはっきりわかったの。でもね。だからといってもう大介のそばには戻れなかったよ」

「……俺、そんな度量の狭い男だって思われてた?」

 声が不機嫌になってしまうのは隠しようもなかった。けれど里奈は悲し気に微笑みながら何度も首を振った。

「いくら精神状態が不安定だからといって、大介をちゃんと信じてあげられなかった私がいけないの。迎えにきてくれたあなたを何度も拒絶して、しかも……大切な赤ちゃんを失ってしまって……。大介にあわせる顔がなかった」

 俺はしばらく言葉を探してから、ゆっくり首を振る。

「今更だけどね。俺は戻ってきてほしかったよ。どんな理由であれ受け止めようと努力したと思うし、できたはずだよ。……でもさ、結局お前を追い詰めたのは俺なんだよな。ゲームばかりして、ちゃんとお前のことをみていなかったから……」

 里奈が大きく瞳を見開いた。

「違う。そうじゃないよ? 私は夢の向かって必死で努力している大介が好きだった。そんな大介だから、応援したいと思っていたのに。それを全うできなかった自分が、悔しくて、腹立たしくて……」

 そういった後、里奈は小さく俯いた。

「今更、こんな話をされても困るよね」

「里奈」

 ゆっくりと顔をあげ、見ているこちらが苦しくなるような笑みを俺に向けた。

「ただ……私はこの十年、忘れることができなかった。どんなに楽しいことがあっても、新しい思い出が積み重なっても。頭のどこかでこの腕に抱けなかった赤ちゃんのことを、大介のことをどうしても思い出してしまったの。
……だから。大介には迷惑このうえないってわかっていたけれど、あなたにちゃんと話したいって思った。そうしないとこの思いから逃げられない、ちゃんと向き合おうって。大介にたまたま会えて。この時を逃したら一生言えない、そう思ったら大介に電話せずにはいられなかった。本当にごめんなさい。忙しい大介を巻き込んで、私のわがままにつきあわせてしまったね」

 必死で声を絞りだしているような里奈に、かける言葉が見つからない。


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