【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた・第9話 記憶に残るひと ①
本当に勘弁してほしい。俺の限界を試そうとしているとしか思えない。
一週間まえ、理名のマンションの前での別れ際が頭の中をぐるぐる回っている。夜中近くに部屋にあがってお茶を飲んで行けという誘ってきた。それを持ちうる自制心すべてをフル稼働して断った俺に、あの娘はさらに爆弾を落としてきた。いきなり首ねっこを掴んで、可愛い顔をして、キスをしてきた。
相変わらず俺を煽ってくるのは、わざとなのか? いや、理名のことだから本当になにも考えていない可能性もある。正直、余計なことなんか考えず部屋にいって抱き締めてやろうか、なんて邪な考えに傾きそうにもなった。
が、呆然自失している間に俺はその場に置き去りにされ、理名は部屋に行ってしまった。これが本物の放置プレイ。あのあと俺がどれだけ悶えさせられたか、わかっているのかな、あの娘は!
ただ、避妊の用意もないのに無責任に彼女を抱いたりはできない。そもそもあの日、理名とつきあい始めるなんて思っていなかったから、そんな用意なんてしていなかった。逆に用意をしていたら、準備万端すぎて気持ち悪くないか?
理名の部屋にゴムがあって、はい、どうぞなんて差し出されるのも絶対に嫌だ。あの日会った男が置いていったかもしれないものなんて使えるか。もしみつけたら全部捨ててやる。自分でも知らなかったけれど俺、意外とそういうところは潔癖なのかもしれない。
「おーい! 大介さーん」
目の前で手のひらをぶんぶん振られてはっとした。ゲーマー仲間のユウが、からかうように笑っている。
「なんでさっきから、難しい顔したり笑ったりしているんすか。気色わるい」
「うっせーな。俺だって色々悩みがあったりするんだよ。君みたいな能天気な男にはわからないようなことがね」
考えてみたら俺の悩みこそ相当能天気な気がするけれど、わざわざこいつにそれを説明する必要はないだろう。
四つ年下のゲーマーであるユウは人当たりのいい、見た目はふつうの兄ちゃんだが、格ゲーをやらせると、とんでもなくねばり強い。対戦相手としてはかなりやっかいなゲーマーだ。こいつとの勝負は消耗するけれど、得るものも大きい。
「感じがわるいなあ。いいことでもありましたか? 悩みっていうより、すんげー楽しそうなんですけど」
ユウもサイノスにスポンサードを受けているから、理名のことはよく知っている。高柳さんかわいいですよね、とかなんとか前にも言っていたこともあった。なんだか抜け駆けしてしまった感もあるし、とりあえず今のところは理名とつきあっていることは、黙っておくほうがいいだろう。
「そうかな。別にふつうだよ」
しれっとそういうと、本当ですか? 怪しいなとにやにやしている。やれやれ。ゲーマーの奴らは妙なところでスルドイから油断できない。
「もうそろそろ休憩おわりにして、やろうぜ?」
さりげなく話をそらすと、ユウもそうですね、もう少しやりましょうかとパイプ椅子から立ち上がった。
池袋にある小さなビルの一室。そこを共同でかりて、ゲーマーたちと日を決めて集まり、新しい戦略や技の意見交換を兼ねた練習会をしている。俺やユウも含めて多いときには十人くらい、トップクラスのゲーマーが集まって対戦をしている。
日本よりも賞金が高い大会も多く、てっとり早く稼げるアメリカに拠点を置かないのかと尋ねられることも少なくない。けれど日本にいた方がこうやって強いゲーマーたちと切磋琢磨できる機会は圧倒的に多い。格ゲーマーの層が世界で一番厚いし、連帯感も強い。情報をシェアしてお互い強くなっていこうという気概もある。
一方海外の格ゲーマーたちは基本一匹狼で、そういった情報交換はライバルを利する、とあまりやりたがらない。だから彼らの情報ソースは主にネット上になる。
ただしこうやって顔と顔を合わせて情報交換するのとでは、その質が全く違ってくる。情報は生き物だ。すぐさまそれを取り入れて、研鑽することによってまた違う可能性が生まれることだってある。
俺はたとえ多少賞金が減ろうとも、いつでも自分を最大限研ぎ澄ますことができる刺激を選ぶ。だから今のところ、日本から動くつもりはない。
壁際においてある休憩用パイプ椅子から立ち上がる。あいているモニターのまえにあるゲーミングチェアにすわり、ヘッドセットをつける。ゲームをしていないと煩悩だらけになってしまう頭も、いったんヘッドセットを耳に当てて、モニターの中で繰り広げられる世界に入ってしまえば集中力が一気にたかまってくる。
時間の流れがかわる。プレイをしているとあまりにもあっという間に時間がすぎてしまうから、気が付いたら浦島太郎みたいに、じいさんになっているかもしれないなんて、たまに本気で思う。
夜も八時を過ぎ、そろそろお開きにしようかという流れになり、帰り支度をはじめた俺の顔をユウが覗き込んだ。
「大介さん、このあと予定あります?」
「予定、ねえ。基本帰って寝るくらいだけど、明日の朝ちょっと早いんだよね」
家に帰ったら速攻で理名に電話しようと思っているから、正直さっさと帰りたい。さりげなく帰るアピールをしておく。ユウは飲みに行くのが好きだ。しかもここしばらく彼女がいないものだから、同じように彼女がいないと思われている俺はユウのターゲットになりやすい。
奴はほんのすこしだけ考えるように、視線を泳がせたあと、顔を近づけてきて囁いた。
「一緒にキャバクラいきませんか?」