校正者、「八百屋」と「八百長」を考える。
とある漢字学習関連の校正をしている。
こういう時に必須なのが「常用漢字表」で、私は全国官報販売協同組合というものものしい名前のところが発行した書籍の形で持っている。
常用漢字表には付表や人名用漢字など「おまけ」がいくつかあって、その中の一つに「音訓の小・中・高等学校段階別割り振り表」というのがある。要は、読み方をいつ習うかの割り振りだ。
例えば「映」なら、「エイ」と「うつ(る)」「うつ(す)」の読みは小学校で習うが、「は(える)」の読みは中学校で習う。
そこには特殊な読み方ながら常用漢字表の範囲内のもの、すなわち「付表」の読みの割り振りも載っている。「兄さん」は小学校、「小豆(あずき)」は中学校、「桟敷(さじき)」は高校、など。
その割り振り表を見ていて、疑問に思ったことがある。
「八百屋(やおや)」は小学校で習うのに、「八百長(やおちょう)」は高校で習う読みとされているんだけど、なんで?
二つの語の違いは「屋」と「長」の字の違いだが、「屋」の漢字自体は小学校3年生で習う。だが「長」の字は2年生で習う。
「長」のほうが1年早く習うのに、「八百屋」と「八百長」になると小学校と高校の差がついてしまうのだ。言うまでもなく「屋」と「長」以外の部分の読みは全く同じである、にもかかわらず。
これはもう漢字の難しさの問題ではないのかもしれない。「八百屋さんごっこ」はほほえましいが、「八百長ごっこ」は物騒だ、八百長みたいな社会のダークな面を小学生に教えるべきではない……というような大人の配慮なのかもしれない。
今のご時世に小学生がどれだけ本物の「八百屋さん」を知っているかはともかく。
ちなみに……「八百万(やおよろず)」はどうなの? と思われた方もいるかもしれないが、常用漢字表において「万」には「マン」と「バン」の読みしかなく、付表にも「よろず」の読みはなかった。
ちょっと寂しい気もする。