先立つ若い命を送る
先立つ息子さんを送るとは、
母にとって、我が身を割かれるような
辛さを味わうと。。。
命には、
それぞれ、
一人ひとり、
定められた長さが
元々決められているという。
母が命をかけて、
産み出した赤ちゃん。
その瞬間に立ち会い
その感激を分かち合う。
助産師の助産師冥利に尽きる
生命誕生とは。
よく考えてみると、
その生命が終わる時をも
見通すのではないか⁉️と
思うことがある。
産まれるべくして
この世に誕生する生命。
その逞しさの中に
何かとてつもなく
非情な試練をこえるタイミングが
ハッキリと見える事がある。
どうにも手の届かない状況から
再起できなかった命だったり。
もうだめだと匙を投げた瞬間に
心臓が動き始め生き始める命を
抱き止めたり
『命の本性を見た‼️』と
思えるような瞬間が
時々あるのだ。
『胎児』という生体が、
『新生児』という呼び名の
ヒトの子どもとして迎えられる時。
全く異なる仕組みに
成り代わる瞬間は、
実に
生物の進化のかかる時間としては
億年単位の飛躍を瞬時に超えるのだ。
奇跡としか言いようの無い
誕生の瞬間とは、
生と死が、
共存して場でもあると
つくづく感じた経験を持つ助産師は、
私だけでは無いはず。
なのに
なのに
命の終わっていく場には、
奇跡的な『生の復活』は
まず、
起こりえない。
命の消えゆく先は、
もう奇跡すら拒まれてしまう。
生命の焔は、
消えかけては、揺らぎ
ぽっとわずかに
明るくなったとしても
それが、続き、
生き始めるという奇跡は、
無いのだ。
身体と心、どちらもが
戻れないところへ向きを変え
進み始めてしまうと
もう、
引き留める事は出来ないのだ。
充分に尽くせただろうか?
これで良かったのだろうか?
行かないで止まって欲しいが、
それが酷なことであると分かると
穏やかに逝ってくれて良かったのだ
と
思えるようになる。
まして、自らの生み出した命が、
我が身より先に生命を終え
送り出さなくてはならない母は
どうにもならないジレンマと
悔しさと悲しみを体中に集めて
涙を流すしか無い。
産み出すことを成したのだから
見送る事も時としては成し得ると
心に言い聞かせて耐えるしかないのだ。
あなたの子どもは、
あなたを芯から信じて
息を引き取ったはず。
あなたに感謝して、
あなたに見守られ安堵して
旅だったはず。間違いなく。
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