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ある「刑務所」から学ぶ、「ひきこもり」問題解決の道

突然ですが、あなたは、「刑務所」と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?

一般的に「刑務所」と聞くと、牢屋があり、高い塀に囲われ、食事や労働など全てが決まった時間に与えられ、常に看守たちに見張られているなど、自由とは程遠いイメージをするかと思います。

刑務所のイメージ


ですが、同じ刑務所でも、各人に独房と呼ばれる個室が与えられ、その室内は、格子のない大きな窓、ベッドに机、薄型テレビにミニ冷蔵庫、トイレ、シャワーも備わっている、世界一豪華な刑務所とも言われているハルデン刑務所(ノルウェー)をご存知でしょうか。

ハルデン刑務所の独房:朝日新聞GLOBE+記事内より(中川竜児氏撮影)

ハルデン刑務所内は、トレーニングジムや図書館があったり、音楽スタジオなどもあるそうで、共同スペースでは、自分で食事を作ることもでき、包丁なども使えるとのこと。

このような環境ですから、きっと、犯した罪も軽いものなのでは?と思ったのですが、殺人などの重い罪を犯した人も収容されているとか。


正直言って、本当に刑務所なのか?と思ってしまうほどの充実ぶりにも関わらず、ノルウェーの再犯率は、10%台後半〜20%台前半と、世界的に見てもかなり低いんだそうです。

ちなみに、日本の再犯率は、47.9%(2022年)なんだとか。先進国の中でもトップクラスに該当する再犯率らしいです。


ですが、そんなノルウェーも、以前は再犯率が60%〜70%と、日本よりも高い再犯率だったそうです。


一体何が、ノルウェーの再犯率を下げさせたか。

それは、日本と同じ「厳罰化」から、「修復的司法」や「開放型刑務所制度」の導入などが、再犯率低下に繋がっているとされています。

修復的司法:被害者と加害者、犯罪の影響を受けた周囲の人々など、事件の当事者が主体的に集まり話し合うことで、事件によって引き起こされた害悪の解決をともに模索する取り組み。
具体的には、被害者と加害者が第三者の仲介で直接顔を合わせ、事件にまつわる体験や心境を伝え合い、疑問や不安を解消して、罪の償い方などを話し合う。

公益財団法人東京人権啓発センターより

この修復的司法による取り組みは、フィンランドの病院で開発された精神医療に用いられる「オープンダイアログ」と非常によく似ていると僕は感じました。

「ひきこもり」の改善、解決においても、「オープンダイアログ」は有効な手段とされています。


今回、本記事で注目したいのは、刑務所としての在り方です。

日本(一般的な刑務所)とノルウェーの刑務所の在り方の違いに、「ひきこもり」という問題における解決のヒントが隠されていると僕は感じました。


少々前置きが長くなってしまいましたが、ノルウェーの刑務所の在り方から、「ひきこもり」の解決のヒントを見出していきたいと思います。


ノルウェーの刑罰は「自由を奪う」ことにあるとされています。決められた時間、決められた場所にいなければならず、家族らとの面会にも制限があるそうです。

これについては、日本も同じだと思います。


朝、居室の鍵が開けられると、リビングで食事をし、作業・学習棟に作業や勉強に行く。そして、午後に居住棟に戻って夕食を食べた後は、読書をしたり運動したり。夜は再び居室に入り、鍵がかけられる。

1日の流れだけを見れば、一般の刑務所と同じですが、

一般の刑務所のほとんどは、監視・管理しやすさを考え、居住スペースや工場などを同じ建物に集約され、余暇時間も決まった場所(居室)で過ごさなければなりません。

それに対し、ノルウェーにあるハルデン刑務所は、敷地内に、居住棟、作業・学習棟、事務棟などが点在し、監視には不向きな、森の木々を生かして緑豊かな環境にしてあり、余暇時間は、図書館で読書をしたり、DVDを見たり、サッカー場でサッカーや運動をしたり、音楽スタジオで趣味に興じたりと、各々が過ごしたい時間を過ごせるようになっています。


このような設計にしてあるのも、『外』では朝、家で起きて、オフィスや学校に行くため、刑務所という場所であっても、受刑者が「外」と同じように社会的な生活を送るために、このような設計にしてあるんだとか。


この違いは非常に大きいです。


刑務所内であったとしても、受刑者に「外」と同じような生活をさせるということは、刑務所の所長をはじめ、そこに携わる職員全員が、受刑者たちはおかしな行動はしないという、全幅の信頼を寄せている(信じている)何よりの証拠だと思います。

それに対し、一般的な刑務所は、社会復帰に必要なことをさせはするが、全てが管理、統率されていて、常に看守たちが目を光らせている状況というのは、受刑者という存在を、心から信じていないという見方ができます。


言い方を変えれば、どのような罪を犯したとしても、この人は、正しい道を歩める人だと信じるのか、それとも、正しいことを強要しないと、この人は、正しい道を歩めない人だと、レッテルを貼るかの違いとも言えます。


自分がやらかしたこととはいえ、過去の行いや、これまでの振る舞いにより、レッテルを貼られ、信じてもらえないというのは、どんな気持ちでしょうか。


僕自身、自分の笑った顔にコンプレックスがあるため、作り笑顔とかが出来ないのですが、それが元で、見てくれを批判されたり、僕が発言した内容がどんなにイイことを言っていても、見てくれが悪い、笑顔じゃないという理由で、説得力がないとも言われたり、笑顔じゃないことを責められたりしたことがあるので、勝手なレッテルを貼られる辛さはよくわかります。



『正しさだけでは、人は変わらない』
というのが、僕の持論です。

「愛は、地球を救う」というテーマの番組がありますが、『愛こそが人を変える力がある』と僕は思っています。

僕自身も、『愛』によって救われた(ひきこもりから立ち直れた)一人です。


ちなみに、「厳罰化」による刑を受けた受刑者が、再び罪を犯し、刑務所に戻ってきた一例に、「外の世界では、何をして良いかわからない。管理されていた方がいい」という理由で、再び罪を犯し、戻ってくることがあると言います。


『愛』によって、受刑者に変化が起こる内容が、こちらの記事の2ページ目に、記載されているので参考にしてみてください。


信じる、ゆるす、認める(受け入れる)、これらは全て『愛』によるものです。


『愛』をもって接するのか、それとも、『正しいこと』を強要するのかの違いが、再犯率という数値で表れているのではないでしょうか。


これは、「ひきこもり」という問題をはじめ、親子関係や人間関係も同じではないでしょうか。


本日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




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