見出し画像

「フレンチアルプスで起きたこと」のあるシーンを徹底考察する

はじめに


皆さんは「フレンチアルプスで起きたこと」という映画を観たことがあるだろうか。

ある家族がアルプスのスキーリゾートに旅行にいくのだが、雪崩が発生してしまう。その雪崩自体はリゾート側がスキー場の安全のために人工的に起こしたものだったが、なんと主人公である父親は家族を捨てて一目散に逃げてしまったのだ。家族は全員無事だったが、父親が自分たちを見捨てて逃げた、という事実が徐々に家族を崩壊させていく。「理想の父親」を取り戻すために、主人公は必死にあがこうとする…という非常に気まずくて居心地の悪いストーリーだ。監督はリューベン・オストルンド。スウェーデン出身で、人間の気まずい瞬間を画面いっぱいに映してくれる意地悪な方だ。

私はこの映画が大好きである。日常の中でひそかに感じる違和感、気まずさを、この映画は惜しみなく映し出してくれる。あまりの気まずさに思わず目を逸らしたくなるような、ある種のホラー的な要素も魅力の一つだろう。

中でも私はあるシーンが印象に残っている。本編(1:21:04秒辺り)から始まる、主人公である父親のトマスと、リゾートで知り合ったマッツが椅子に座って休憩しているシーンである。何度も観るうちに気づいた点がいくつかあるので、今回は、このシーンの演出を徹底的に考察したいと思う。U-NEXTやFODにて鑑賞できるので、できれば一緒に観てほしい。

シーンで起きたこと


画面中央、トマスとマッツがずらりと並んだ椅子に座ってくつろいでいる。手前や奥を他の観光客が横切っていく。大音量で音楽が流れている。

女性客二人組がトマスらにナンパする。ナンパされて悪くない心境の二人。女性客らは去っていく。

しばらくすると女性客の一人が戻ってきて、人違いだったことを謝る。気まずい沈黙。女性客らが去ろうとすると、マッツは「からかっているのか?」とキレて立ち上がる。音楽がサビに入る。

他の観光客がマッツを止めに入る。トマスも落ち着くように言う。マッツは渋々椅子に座り込む。止めに入った観光客と和解の握手をして別れ、その後二人は苦笑する。


以上がこのシーンの流れだ。ワンカットで、カメラもほとんど動かずこのシーンが演じられている。

シーンの考察

BGM


まず注目したいのが、背景で流れている音楽だ。セバスチャン・インゴロッソとトミー・トラッシュによる「Reload」という曲である。リゾート地らしい、ノリノリでイケイケのハウスミュージックだ。このシーンに限っては、気まずい雰囲気をさらに助長させている。背景で流れる音楽と実際に起こっている状況のギャップは、日常生活でもしばしば見られる瞬間だろう。また、ただ気まずさを演出するだけでなく、もう一つの意図もあると考えた。

右下のブーツ


次に注目すべきなのは、画面右下に映っているブーツである。椅子に座った他の観光客のブーツが画面右下に見切れているのだ。そしてよく注目してみると、背景の「Reload」に合わせてリズムをとっている。つまりもう一つの意図とは、背景の音楽のリズムにのれているかで主人公たちの状況を示している、ということだ。

このシーンの冒頭、ブーツはまだ画面に映ってリズムをとっている。リズムにのれている、つまり主人公たちの状況は良いということである。女性客らがやってきて、去っていくまでの間も、まだブーツは映っている。問題はここからである。女性客らが去ったあと、カメラがゆっくりと主人公たちに寄っていくのだ。するとブーツは段々画面外に見切れていく。そして完全にブーツが隠れた瞬間、また女性客がやってきて、人違いだったことを告げるのだ。リズムにのれなくなった、つまりナンパされたと思ったら人違いだった、と主人公たちの状況が悪化したのである。ブーツが隠れてからの主人公たちは悲惨なことばかりだ。女性客らはさっさといってしまうし、マッツはキレるし、ろくなことがない。ここのカメラワークは、見れば見るほどよく計算されているんだな、と本当に感心させられる。意地悪だけど。

歌詞の意味


そしてシーンの終盤。女性客は去ってしまい、マッツがキレてしまう。立ち上がって声を荒げると、他の観光客が宥めようとやってくる。トマスもマッツを落ち着かせようとする。マッツは渋々椅子に座ろうとし、ちょっとよろける。ここが本当にリアルで惨め。そして他の観光客がマッツを宥め、二人は握手をして和解し観光客は去っていく。トマスとマッツはあまりの事態に笑うしかなかった。

また背景の音楽の話になる。二人が握手をする瞬間、曲はサビに入るのだが、その時の歌詞が「Take my hand and reload」と、手を取り合う意味になっているのだ。希望溢れた歌詞が、このシーンでは皮肉になっている。この監督は、この映画に限らず音楽、特にEDMの使い方が本当に意地悪だ。

このシーンの意図

最後に、このシーンを挿入した意図を考えてみる。このシーン自体は、その後の展開に繋がる訳ではない。カットしても、恐らく物語は機能する。では、監督はなぜこのシーンを入れたのか。

このシーンの前では、誰もいない雪山の頂上に二人で登り、叫んでストレスを発散しろ、とマッツから提案をされて叫ぶ場面があった。この旅行で溜まった不満、ストレスをトマスは叫び、一時的に気持ちがスッキリした。その雰囲気を、椅子に座って音楽を聞いて休息している様子に重ねて表現しているのだと考えた。

だが休んで気が緩んでいると、すぐ他の女に目移りしてしまうようなダメ男の一面もシーンに込められていると思う。やはり、全編を通してトマスはダメダメなのである。それはラストシーンのある行動にも現れていると思う。ダメ男が旅行先で散々な目に合い、少しは反省するも結局根本的な部分は変わらない、という人間らしい姿が、よくこの映画では描かれている。

おわりに

今回は、「フレンチアルプスで起きたこと」のあるシーンの意図を考察していった。このように、全編を通して緻密に計算された物語、カメラワーク、構図、台詞で構成されているので、興味を持ったら是非とも鑑賞してみてほしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?