異文化に入り、気づかされる自分
アフリカに住んでいて、強く実感させられることがある。
それは、自分はどうしようもなく日本人だということだ。
日本にいたとき
私は日本に生まれ、20年以上日本で育ってきた。当たり前に日本人だろう。
しかし、日本に住んでいるときに、自分は日本人であると考えることは無かった。
無かったといえば言い過ぎかもしれないが、日本人であることを強く実感することはほぼなかっただろう。
異文化に触れる経験も自分にはあまりなかった。
せいぜい、洋画や海外ドラマを観るくらいだ。
海外はこんな考え方か~。こんな生活してんのか~。と思う程度だ。
本やTVやインターネットなどで、日本人はきれい好き、時間にうるさいなどの話を見たり、聞いたりしても、まあそうだなくらいの感想だった。
そして、いざ異文化の中で生活すると、気づかされるのは、自分がどうしようもなく日本人だということだ。
アフリカの異文化の中に住んでみて
生活の様々な場面で、日本人が覗いてくる。
自分はあまり食にはうるさくないほうだと思っていたが、異国での同じ味付けに飽き、気づけば醤油や出汁を使って毎日自炊している。
醤油、出汁最高と心の中で呟いている。
また、自分はあまりきれい好きだとは思っていなかったが、こちらに来て、潔癖症になったのかというくらい、きれいさについて考えてしまう。
ポイ捨てや、手洗い、衛生環境もろもろ、気にしないほうだと思っていたが、やはり気になってしまう。
時間についてはいわずもがな、考え方の違いを感じる。こちらでは時間に正確ということは、まずない。
それに慣れてくると、それでも時間に縛られている自分に気づく。
日々の違和感と共に
日本に居たとき、異文化に触れることは大事だと頭ではわかっていたが、ここまで、いろんなことを考えさせられるとは思っていなかった。
たとえ、異文化の体験記を読んだり、異文化で過ごした人から話を聞いたりしても、この感覚は得られないだろう。
生活をする中で、日々感じる違和感、異文化、日本人であるということ。
自分は日本について、知っていると思っていたが、それは日本の内から見た視点でのみ考えていた。
今、異文化に入り、外からの視点で日本について考えることができている。二つの視点を持つことで、なぜ、日本人はこんなにも食にこだわるのか、きれい好きなのか、時間に正確なのか。日本にいるときには、当たり前すぎて湧いてこなかった疑問が多く出てくる。
また、その日本という文化の中で育ってきた自分についても考えさせられている。
これから、より深く現地の文化を知り、多くの人と話す中で、現地の考え方も知るだろう。
その生活の中で、日々感じる違和感を大切にしながら、もう一度自分というものは何か築き上げていきたい。
今はそんなことを考えている。