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【連載短編】『白狐』2

「先輩は、大学行くつもりなんですか?」
 清水は自転車を押して歩く俺の隣を歩きながら聞いてきた。高校2年生の冬を過ごす俺にとって、この質問はあまり明るい気分になれるものではなかった。
「そうやな。そろそろ考えんとな。」
「大丈夫なんですか?そんなんで」
 彼女の質問には惚けてみたが、実際これは重要な問題だった。うちの高校は進学を選ぶやつが全体の7割くらいで、卒業を期に就職するやつもそれなりにいる。進路指導の先生からは進学を勧められているが、俺としてはまだ迷ってはいるのだ。
「まあ、なんとかなるんちゃうかな」
 これは清水への返答と同時に、自分への言い聞かせでもあった。
 一度、東京の大学に通ういとこに、大学を案内してもらったことがあった。東京といっても都心からは外れた八王子の大学だった。駅からバスで20分程の場所にあって、都会の騒がしさはなく、その土地自体はかなり気に入った。
 だが、問題は大学だった。いとこは「大学っていいもんだぞ、それなりに楽しいし、変なやつもいっぱいいる」と言っていた。しかし、俺には大学の魅力がよく分からなかった。
 経済学部に進学したいとこに、なぜその大学を志望したのか聞くと「偏差値で選んだから、特に経済を勉強したいとかはなかったかな」という返答だった。ならば、なぜ大学に行くのだろう?行って何になるのだろう、とまでは言い過ぎかもしれないが、大学に何を期待して行くのだろうか、ということは最後まで疑問に思ったし、今でもそうだ。自慢の広々としたキャンパスに建物が散らばっている様は、彼の大学生活の密度をそのまま反映しているように見えた。
「そういう清水はどうなん?」
 1年生のまだ気楽でいられる時期の彼女にそれを聞くのも少々酷な気がしたが、これ以上自分から何を言い出しても仕方なかったのは事実だ。
「私は、進学したいです」
 思いのほか真っすぐに自分の希望を伝えられた俺は、少し面食らってしまった。
「もちろん、今のところですよ。1年後2年後の自分がどうなってるかは分からんけど。でも、今のところは、進学です」
 1年生にして彼女は、今のところと断りながらも、かなり明確な将来を思い描いている。俺と彼女とで、1年で進む距離はかなり違うように思えた。
「桐田さんはどうするんですか?」
「あいつは進学やろ。ああ見えて結構賢いからな」
 いつの間にか、俺たちがいつも別れる交差点の信号に差し掛かっていた。十字路を真っすぐ行く俺は、信号に停められた。そんな時は、信号が変わるまで彼女は待ってくれる。次の青信号まで、俺たちのとりとめのない会話は続く。
「そういえば、来年から野球部が部員募集やめるらしいですよ」
「え、マジ?」
 若者の少ない片田舎の公立高校で部活がどんどん廃部になることは珍しくない。野球のように、人数の必要な部活は自校だけで十分な部員を確保できないこともままある。俺たちの学校の野球部は、他の部員の足りない高校と合同チームを結成して大会に出場していたが、それも厳しくなりつつあるという噂は聞いていた。
「ついになくなるんか」
「うん。なんか、合同組んでる他の学校との折り合いも悪いらしいです」
 信号が青に変わる。
「じゃあ、また明日」
「それじゃあ」
 俺はペダルを踏みだして横断歩道を渡り、彼女は渡らずに右の方に向けて歩きだした。
 この田舎町では、段々人口も減りつつある。俺たちの高校は、隣の市町村からもそれなりに生徒が来るから、定員を割ったことはないが、それでもギリギリだと聞く。学校帰りに見る顔は、ほとんどが俺の両親と同い年かそれより上の人達だ。
「おう、神谷の兄ちゃんや」
 俺は自転車を止める。声をかけてきたのは、近所に住む栗本さんだった。栗本さんとは両親との近所付き合いもあって、俺が小さい頃から何かと関わりがあった。小学生の頃に俺が風邪をひいて学校を休んだ時、母親が家を長く空ける用事があったのだが、その時も俺の面倒を見るのを引き受けてくれたのは栗本夫妻だった。
「いつも寒ないんですか?そんなところで」
 俺が中学の時に定年退職をして、今では道に面するガレージに収まる軽トラの前でキャンプ用の簡易イスに座って夕方くらいまで碁盤とにらめっこをしている。彼はこの冬も近い季節にも関わらず、ウィンドブレーカーを着て座り込んでいた。
「まあ、歳とると寒いも暑いも分からんわい」
 軽く冗談で言ってみせたあと、
「兄ちゃん、帰ったらお母さんに、今年はミカンがないわって言っといて」
 栗本さんの家の庭には、ミカンの木が2本植えてある。毎年、秋から冬頃のどこかのタイミングで、その木からとれたミカンをもらっていた。大体いつも下校中の俺に栗本さんの奥さんが渡してくれたのだ。
「ああ、分かりました」
「もうな、木枯らしてしもうてな。来年の春には切ろう思てるんや」
「そうなんですか」
 毎年、栗本さんの家からもらったミカンが、俺の家のこたつの上に置かれるのが恒例になっていた。味は年によってまちまちで、ほどよく甘くさっぱりとした味わいの年もあれば、酸味がしつこくとても食べられない年もあった。
 俺の母親は、栗本さんからもらうミカンを厳しくジャッジしたが、その結果を栗本さんに直接伝えることはしなかった。特に、否定的なものの場合は。出来の悪い年のものは、1個食べ終える前に「私、もうええわ」と言って容赦なく捨てる。出来の悪い年のミカンをもらったら、母は栗本さんに実際に会った時ミカンをもらったことへの感謝を強調して、味の感想を求められる前に立ち去る。
 ミカンの味について正直な感想を伝えるのは、むしろ俺の役目だった。栗本さんの、特に旦那さんは(つまり今俺の目の前にいる男のことだけれども)俺が正直な感想を言えるように先手を打ってくる。
 例えば「今年のはあかんな。酸っぱくて食うとられへんかったやろ?」とか、「今年のは渋皮が分厚くて食べにくいわ。実もなんか固いし。思わんかった?」とか。それに対して、正直いまいちでした、とか言うと、「せやろ?」と同調する。
 こうして俺が彼に対してあけすけにミカンの味の感想を言えるのは、俺たちがお互いに美味く出来た年のものにはキチンと「美味い」と言い合うことができるからだ。
「小さい頃から見てきたから、なんか寂しいですね。この木がなくなるの」
「ほんまなあ。わしも何とかして兄ちゃんがこの町を出ていくまでは残しておきたかったんやけどな」
 いつからだろう。この町の人間が、俺みたいな若者がここを出ていくことを前提とするようになったのは。確かに、今や若い連中は進学や就職などでこの町を出ていくことが当たり前のようになってはいる。そして、残された者は出ていく者を止めることはないのだ。
 清水の話といい、栗本さんの話といい、みんなこの町がどうなっていくのか分からないのかもしれない。いや、薄々そんなことには気付いていて、でもどうすればいいのか手をこまねく次元も既に超えて、どうしようもないと諦めているのかもしれない。
「分かりました。母親には伝えておきます。栗本さんも、寒くなってきたんですから、外でまったりするのもほどほどにしないとダメですよ」
「おお。兄ちゃんにも言われるようになったな。でもまあ、そうやな。気い付けるわ。またな」
 俺は自宅に向かって自転車を漕ぎだした。
 栗本さんの言うように、俺もいつかはこの町を出ていくと思う。でもそれは、俺がこの町に追い出される時のようにも思える。

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