【連載小説】『陽炎の彫刻』終章
梶川雄太君へ
この手紙を書いているのは、秋の初めの頃で、金木犀が薫るにはまだ早い。君がいなくなって4か月くらい経った頃だ。夏の暑さはもうない。そんな時期だ。
僕は、手紙を書くというのには慣れていないから、とても困惑している。が、君の携帯電話も警察が預かって、その後君の両親の元に返されたから、こういう形しか連絡をとる方法がないように思えたから。こういうのは最初に、世間話でもするものなのだろうか。なら、君の知っている人の話を少ししようか。
佐々木さんは相変わらず元気にやっている。君がいなくなった時には、かなり心配していた。彼も警察から君がいなくなった経緯の説明を受けたが、納得のいっていない様子だった。君の身体のことを佐々木さんは知らないし、僕からも知らせていないから、今では彼は君の生存を諦めているみたいだ。
それから、奈沙が君に会いたがっていたよ。君と最後に会ったのも、随分前だったっけ。記憶が曖昧なんだけど、記憶が曖昧になるくらいには長く会っていないということだろう。君の行方不明の件については話している。とても心配していた。
僕も、相変わらず元気にやっている。最近、仕事の方でも忙しくしている。
世間話はこれくらいにしようか。本題に入ろう。
今日、君に手紙を書いたのは、いくつか報告をしなければいけないことと、報告したいことがあるからだ。
まず、君の部屋について。君の東京の部屋は荷物を引き上げた。だから、もうそこに君は帰れない。ちなみに荷物を引き上げたのは僕だ。次に会うことがあったら、感謝してほしいものだ。君の部屋にあった荷物は全て、滋賀の君の実家に送られるように手配をしたから、荷物自体はしっかり保存されている。そこは安心してほしい。
それから、大学院についてだが、退学の手続きをとることを、君の両親が決定した。研究室にある君の研究資料や文献は、僕が回収して、君の部屋の荷物と一緒に実家に送ってある。君の研究について、そういえば僕は何も知らないことに気づいたよ。詳しく話を聞いておけばよかったと、今になって思う。
君の東京での生活拠点の整理については、僕が大方引き受けたことを、まずは報告しておく。また、荷物を整理している途中に、君の日記も少し覗いてしまった。けど、次に会う時には、すっかり忘れてしまっていると思うから、許してほしい。
君が意識を取り戻した時、一体どんな景色が見えて、どこで目を覚ましたのか、その後君がどこに行ったのか、あるいは連れていかれたのか僕には分からない。分かりようもない。それでも、僕は君ともう一度会いたいと思っている。
もう君も気付いていると思うが、この手紙を書いている僕は、君の生存を前提にしている。というより、君の生存を信じている。
僕は警察から、君の両親と佐々木さんと君の大学の担当教員と一緒に事情を聞いている。君が行方不明になった経緯について聞かせてもらった。両親と僕を除いては、警察からの説明に納得がいっている様子ではなかった。本人である君でも信じられないかもしれない。でも、僕は君の生存を信じている。その理由は別に科学的な根拠があるわけではない。もしかしたら、そう信じたいだけなのかもしれない。
僕は、君のことを良い友達だと思っている。そして、君の消息を知りたいし、生きているのであれば、君が今どこで何をしているのかを知りたい。ここ数か月間、君の行方を知りたくて仕方がないと思い続けている。もしかしたら、もう生きていない可能性も頭をよぎった。生きているか死んでいるかも分からないまま姿を消した人と関わり持つというのは、こんな気持ちになるんだね。どうしていいか、僕にも分からなかったし、今もよく分からない。そもそも、手紙は確実に生きている相手に送るものだから、この困惑はある意味では当たり前なのかもしれない。
たまに街を歩いていると、君によく似た人を見かけるようになった。ようになった、と書いたのは、恐らく僕が無意識に君を探すようになったからだと思う。でも、全て君じゃない。当然だが、みんな君じゃない。近づいてみると何も君に似ていないんだ。考えてみれば当然のことだけど、これじゃまるで陽炎みたいじゃないか。
色々と考えた末、僕は、君を待つことに決めた。
分かるかい。これはある意味で賭けなんだ。生きているのであれば、なんて書いたが、僕は君が生きている方に賭けたんだ。もし、もう君がこの世にいないとなれば、この手紙は何の意味もなくなる。今度の賭けには、できるだけ負けたくないと思っている。
この手紙と一緒に、僕の電話番号を書いた紙が同封されていると思う。その電話番号は、君からの連絡がない限り変更しないつもりだ。だから、僕が今後どこに引っ越したって、君と連絡は取れると思う。君が実家に帰って、この手紙を読むことがあったら、すぐに連絡をしてほしい。
それに、僕は君に返さなければいけないものがあるんだ。君が愛用していたオーディオは、今、僕の手元にある。引っ越しの時、これだけは僕が持ち帰ったんだ。こんなことをするのはまるで人質をとるようだが、返してほしければ、僕に連絡をしてほしい。
この賭けがどのくらい勝算のあるものなのかは分からない。だが、僕は続けていこうと思う。そして、その結果を心待ちにしていようと思う。もし、僕がその結果を知ることができないような状況になった時のための手も打つつもりだ。数年先がどうなるかなんて、誰にも分からないからね。
勘違いしないでほしい。君は僕にとって確かに良い友達だけど、君が死んでしまっていたからといって、別に不幸になるわけじゃない。確かに、君がいなくなったことは僕にとって重荷になっている。死んでしまっていたら尚更だろう。でも、僕はそれでも構わないと思っている。引きずる荷物の重さに慣れていくことでしか、幸せにはなれないと思うんだ。
だから、生きていようと、既に死んでいようと、とにかく君の消息を知りたい。この手紙が無意味になることがあろうとも、否、無意味になることさえ僕にとっては意味があるんだ。君の無事を、そして君との再会を、何より祈っている。
それじゃあ、連絡を待っているよ。この手紙を君の実家に届けたら、よく出かけるようにしようと思う。待ち焦がれている返事は、留守の間に来るものだと、この前何かの本で読んだんだ。
二〇一五年 一〇月 松谷健一
【連載小説】『陽炎の彫刻』-完-