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短篇小説 晩景の花火(8)
その店はカサブランカから歩いて五分ほどの、新宿区役所の前の雑居ビル八階にある小さなスナックだった。
店の名前を『べにすずめ』といった。
二人はカウンターに座った。東郷は麦酒を注文し、未成年の裕はコーラを頼んだ。
「君を誘ったのは、相談があるの」と言ってから、暫く間があった。東郷は、次の言葉を探しているようだった。そして自身のことから話しだした。
「私は、君と同じ新潟の出身で、兄弟は無く、両親を早くに亡くし、母親の妹を頼って東京に出てきたわけ。
その叔母も私が高校卒業と同じ時期に病で亡くなってしまいましてね」
東郷は遠い過去を辿りながら話すのであった。
「高校卒業して、原宿にあった丸山不動産という小さな店舗の事務員として働きましたのよ。当時日本の所得倍増論を唱えた総理大臣がいたけれども、戦後の景気回復の時期で、毎日目の回るような忙しさだったわ。事務員でありながら人手が足りず、不動産のいろはを叩きこまれ、物件の商談もこなしていましたの。
或る時、そこの会社の社長が、アメリカのカジノに通い出して、莫大な資産をすべて失ってしまい、丸山不動産はつぶれてしまいました。
当然私は解雇。さてどうするかと思いあぐねたとき、以前から顔見知りだった同じ不動産会社の東郷から声が掛かり、そこに採用された。私が二十八の時だったわ。
その東郷不動産は小規模の会社で、社長のほか五人ほどの陣容でしてね。ここでも毎日忙しかった。ある日、東郷からプロポーズされ、私達はその後、結婚したの。
小さな会社ながらも私は、社長夫人になったのよ。ただ、こどもが授からなかった。児童相談所にも行き、養子縁組も考えたわよ。でも私たちの希望に沿わなかったのよね。
業績は順調だったわ。主人は毎晩、深夜の帰宅が続き、ある日の朝、出勤前にシャワーを浴びていた時、倒れて救急車で病院に運ばれましたの。でも既に亡くなっていました。急性心不全でした。
その後、わたしがその会社の社長として、今まで何とかやってきました。
東京都内でも、代々木界隈の土地やビルを所有し、不動産に飽き足らず、原宿の竹下通りに、女性向けのブティックを二軒持つようになりましてね。
業績は順調で、不動産も含め、これからまた規模を大きくしようと思っているのよ」
東郷の長い話は終った。しかし、東郷から出た次の言葉に、裕は目を丸くしたのだった。
「ヒロシ君、東郷の養子になってくれない?」
暫く沈黙が続いた。
「返事は今すぐでなくて、いいのよ。折を見てまた会いましょう」
二人は『べにすずめ』を出て別れた。
新宿の夜は賑やかだった。