ゴメが啼くとき(連載18)
その後、饅頭と文江が持っていた白いカプセルの分析結果が出た。饅頭からは毒物は検出されなかった。
ところが、カプセルはトリカブトの粉末であった。
堀江裕介に逮捕状がだされた。
静内の組事務所にいた雄介が逮捕された。
裕介は、多額の借金を抱え、肩代わりした組事務所から、強く返済を迫られていたのだった。
取調べの結果、あの日、夜の九時半ごろ、裕介は三人がカプセルを飲んだのかどうか確認するため、実家に戻ったのだった。
いつも三人は、夜九時前には、就寝することを、裕介は知っていた。
家に入り、三人が死んでいることを確認し、卓袱台にあったトリカブトのカプセルが入った小瓶を回収した。
その時、小瓶の中に、カプセルが七錠残っているはずが、六錠しか残っていなかった。
残りの一錠はどこへ消えたのか? 裕介は必死に、家じゅうを探し回ったが、発見できなかった。
残りの一錠は、堀江のおばさんが、昼間、遊びに来た文江に渡したのだった。
それを知らない裕介は、やむなく探すのを諦め、警察に連絡したのだった。
どうして身内を殺せるのか、文江には信じられなかった。
後で分かったことだが、亡くなった三人には、多額の保険金が掛けられていた。つまり、保険金目当ての殺人事件であった。一番仲の良かった信子が死んでしまった。おじさん、おばさんも・・。
その後、裕介は起訴され、札幌での裁判となった。
文江は証人として出廷した。
文江十九歳の年、昭和二十三年(一九四八年)六月某日、文江は初めて札幌の地を踏んだ。
文江は堀江家の近所の人の何人かと証人として、札幌に行ったのである。
札幌は北海道では一番の大都会である。
戦後の喧騒がまだ収まらない時だった。
やたら人が多い。文江は、人混みに酔った。
後年、二百万都市となっていく札幌に限らず、日本中が経済発展に伴い、気候変動等による災害に、見舞われることになる。
文江には、都会が脅威だった。
堀江のおじさん、おばさん、信子の三人は荼毘に付され、遺骨は親戚筋の人が持って行ったという。