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【連載小説】憐情(5)

・・・・朝が来た。
 妹は、階下の物音で目が覚めた。横で息子はまだぐっすり寝ている。
 着替えてから階下に下りた。すると、お袋が前掛けをして、朝ご飯の仕込をしていた。
「おはよう」と妹が朝の挨拶をお袋にした。お袋は、
「おはようございます」と、なぜかよそよそしい。
 
「お母さん、昨日兄貴から連絡を貰って、息子と二人で様子を見に来たよ。お母さん大丈夫なの」
「・・・・・・」
「あなた本当にお母さん?」
「・・・・・・・」
「もしかしてまた、狸なの? お母さんは何処なの」
「お母さんは、温泉で一泊です」
「えー? じゃ、あなたはやはり狸?」
「そうです。いま朝ご飯つくっています」
「それは…ご親切にありがとう」
「さあ、息子さんを起こして、ごはんだよ。お母さんは今日の夕方帰ってきますよ」と流暢りゅうちょうな日本語で話した。
 雌狸のようだ。
 間髪をいれず妹が尋ねた。
「いつもお母さんと仲良くしているの」
 するとその狸が、
「お母さんは良い人だよ。でも一人で寂しがっているよ。
 人間はさっぱり相手にしてくれないので、私たちがお母さんの相手になっているのだよ。本当はあなた方が同居して、お母さんの面倒を看るのが最良のはずなのよ」とその狸は大きな溜息をついた。
「あなたに言われなくても、判っているわよ。現実問題としてそれが叶わないから、私たち子供は悩んでいるのよ」
「百歩譲って、同居が叶わないのであれば、せめてちょくちょく顔をみせる事が必要なのではありませんか」
「狸に言われたくないよ」
「でも狸に言われてますでしょ。それほど、人間社会では、家族関係が希薄になりつつあるんです。これでいいのかと狸仲間で話しているのです」
「昨晩、お母さんが帰ってくるからと言ったはずですが、どうしてお母さんが帰ってこないのよ! 約束が違うわ」と妹は雌狸に食いついた。
「当初、日帰り温泉の予定が一泊になったようです。お母さんは大丈夫、元気ですよ」
「信用していいのね?」
「大丈夫、信用して」
「判った」とまた妹が頷く。しかしまだ不安顔だ。
 お袋に擬態したその狸と朝食後お茶しながらいろいろな話をして、お昼前にその雌狸は帰っていった。

 夕方やっと本当のお袋が帰ってきたのである。お袋は、
「あら、来てたの」と、普段と変わらぬ様子で娘に声を掛けた。
「あらじゃないわよ」と娘が膨れる。そして、
「おかあさん、大丈夫?」
「え? なにかあったの?」
 お袋のすっとぼけた表情に、妹は思わず吹き出してしまった。

 妹と息子は昨晩からの狸のことは一切お袋に喋らず、妹の自宅に戻ったのであった。
 

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