戦後の日本をぶらつく②(戦後すぐの教科書)
戦後すぐの教科書
九月の新学期の最初の授業は、筆と墨で、指示された教科書のページの行を塗りつぶすことだったようです。
間違えて他の行を塗ってしまうものなら、読めなくなるから必死で遣ったようです。
国史などは数ページに亘って、塗りつぶすこともあったらしいです。
困ったことに、せっかく覚えた年号(当時は皇紀)が使えなくて、仏教の伝来は「イチニイチニと百済から」と覚えていたのが駄目になってしまいました。
皇紀と西暦の差は六六〇年でしたから、皇紀二六〇〇年は昭和十五年で、西暦一九四〇年と覚えておけば、口頭試問はともかく、筆記試験には対処できました。
ついでに申しますとゼロ戦(零式戦闘機)は皇紀二六〇〇年に制式になったものです。
翌二十一年四月の教科書は、A1数ページの粗悪な紙でした。
これを切ったり折ったりして製本したようです。値段は十銭か二十銭くらいでした。
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