【連載】しぶとく生きていますか?⑳
ある夏の日の昼下がり、松江の家の前海岸に、長さ二メートルほどの木舟が打ち上げられていた。
精巧に造られている小舟であった。
腐った果物や赤飯などが舟の中に置いてあった。舟底は平らなようだ。その小舟の中央に棒が立っており、紙垂が括り付けられていた。
お供え物には、ゴメなどが食い散らかしたような跡があった。
松江はその小舟に興味をもった。信心深い松江はこの小舟を海に流すことによって海神の気を静め、海難事故の無いようこの舟にお供え物を積み海に流したのだろうと想像した。
実はその舟は送り舟といって盆の月の十五日か十六日に盆のお供え物を小舟に乗せ流し、先祖の霊を送る小舟だった。精霊流しとも謂った。
海に流してからかなりの時間が経っていた。
松江はみすみすその小舟を見捨てておくにはもったいないと思った。そして乗りたいという衝動にかられた。
転覆して溺れる可能性は百パーセントあることは分っていた。ただ海岸近くで乗る分にはいいだろうという安易な気持ちがあった。舟の中の腐ったお供え物を海に捨て、乗り込んでしまったのだった。
衝動が安全よりも勝ってしまった。しかしバランスがなかなか取れなかった。子供が乗ってもバランスが取りにくいのに、大の大人が乗った小舟はふらふらと揺れた。それでも小柄な松江はどうにか乗り、両手で波をかき、漕ぎ出してしまった。
はじめは沖まで漕ぎ出そうとは思っていなかったが、どんどん沖に流された。松江は不安になった。しかしどうしようもなかった。櫓も何もなかった。潮で流されるままだった。松江はパニックになった。陸地に向け必死に大きな声で叫んだ。
「おーい! おーい! 助けてくれ!」
しかし、浜辺には人影は無い。
松江はもう一度大きな声で叫んだ。しかし、その声に気づく者はいない。
そのころ茂三と一茂は、家の隣にある小屋で昆布の仕分け作業をするため、玄関を出たところだった。
「父さん、小舟が沖のほうに流されている。人が乗っているみたいだ。叫んでいるみたいだよ」と一茂が父親の茂三に言った。一茂は大変なことになったと思った。
「あれ、松っちゃんじゃないか?」と茂三が言った。そして、
「大変だ。あれは送り舟だ。なぜ乗ったのか。すぐ助けに行くぞ」
茂三は、コンブ漁で使っている木船に乗り込み、松江が乗っている小舟に近付いて行った。
陸では、淑子と一茂、騒ぎに気付いた近所の人たちが浜辺で不安そうに見つめていた。
松江が乗っている小舟に辿り着いた茂三の船が、並走した。
「松、はやくおらの船に乗り移れ!」
「茂三さん、俺怖いよぉ」小心の松江は、よろけた姿で右往左往していた。今にも小舟は転覆しそうだ。
「早くこっちに来い!」と茂三が怒鳴った。
乗り移ろうとした松江は、バランスを崩し、ドボンと海に落ちてしまった。そしてバタつき海水を飲んでしまった。松江は泳げないのだった。
「松! 櫓に掴まれ!」と茂三は松江に櫓を差し出した。
茂三の船に乗り移った松江は、ぐったりと横たわった。小舟は沖に流され何処へいってしまった。
陸に辿り着いた茂三の船から砂浜に降りた松江は、暫くその場にへたり込んでいた。