江戸をぶらつこう(両国橋と回向院)
(両国橋)
四代将軍家綱の頃、明暦の大火がありまして、死者十万人を数えました。
三代将軍家光の代で徳川の天下は万全となり、戦略上それまで架けなかった橋もその理由がなくなり、橋があったらかなりの罹災者を救うことができただろうということで、隅田川に最初の橋ができました。これが両国橋です。
武蔵国と下総国を結ぶというのがその名の由来です。
橋の西詰(武蔵)には日本橋両国、東詰(下総)は本所東両国です。
後にできる新大橋は両国橋を大橋とも言ったことに縁ります。
川開きの打ち上げ花火は両国橋・新大橋間で行われました。
現在の鉄橋は昭和七年の完成です。
(回向院)
明暦の大火(振り袖火事)は本郷法妙寺より出火し、麹町まで延焼、江戸城の西の丸を残して天守閣、本丸、二の丸、三の丸を全焼した大変な火事でした。
幕府は両国橋東詰付近に回向院を建立し10万人近くの死者を葬ったとのことです。
下町では、飼い犬や猫が死ぬと、この寺に頼んで埋葬したといわれています。
他に千住に回向院がありますが、此処は小塚っ原の刑場で処刑された者を葬っていました。