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ゴメが啼くとき(連載23)

 ふたりは連日、海に入って昆布採りをしていた。
 産後すぐに冷たい海に浸かることは、宜しくない。しかし今の文江には一カ月も家でじっとしていることは許されなかった。

 昭和二十六年(一九五一年)も夏が過ぎ、秋が到来した。
 フンコツ(白浜)の小さな入り江は、夕方ともなれば沖で、魚の飛び跳ねる姿が見受けられる。
 ゴメがドンドン岩の岩場で羽を休めている。のどかな情景である。海は凪で、不気味なほど静かだった。
 最近は世の中も落ち着き始め、徐々に釣りブームが起こり、全国から釣り人が、ここフンコツにも来るようになってきた。
 時には、その釣り人が文江の家を訪れ、世間話をしていくようなことも珍しくなかった。

 その日の昼間、二時間ほど釣り人の相手をしていた文江は、夕方、トンネルの先の岩場にいた。流れ昆布を、少しでも拾おうとやって来たのだ。夫の勇も一緒だ。
 文江は勇の腰ひもに掴まり、波に流されないようにして昆布を拾う。
 二人ともゴム製のつなぎをきていて、動作は思うように機敏ではなく、足腰にぐっと力を入れて、作業をするのだった。
 時間があれば少しでも働いて、家の借金を返すのだと、文江は必死だった。その日は潮の流れが緩やかであったので、幾分楽だった。

 昆布に付いたガンゼ(バフンウニ)を岩場で割って海水に浸けて口の中に入れる。いつもの味だが、美味しい。時には、そういう楽しみもある。
 ほかの楽しみと言えば、蓄音機で歌謡曲を聴くことだった。夫の勇も歌が好きだ。二人で唯一歌謡曲を聴くことが共通の趣味だった。
 洗濯物はたらいで洗い、ストーブは薪ストーブ。
 電気は通っていない。しかし、不便は感じなかった。

 文江は人一倍、必死で働いた。
 

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