ゴメが啼くとき(連載2)
ある日、朝から乳飲み子の昌枝を背負った文江は、坂本家の主人から用事を頼まれた。
それは、フンコツ(白浜)の佐藤家まで、大事な封書を届けにいくことだった。
生憎その日は、天候が優れず、夏隣だというのに、冷え冷えとした一日だった。
朝の九時過ぎに目黒の坂本家を出た。昌枝を負ぶっている。そのほかに、着替えのオシメ(おむつ)や哺乳瓶を籠に入れ、文江の体には大層な負担だった。
目黒から白浜までは約一里(約四キロ)の距離である。しかし、文江は嬉しかった。また何とも言えない解放感があった。
八歳の子供の足で、歩くスピードも遅く、黄金道路の砂利が文江の足に容赦なくくい込んだ。
時には、大型トラックがスピードを上げて通り過ぎる。空には分厚い雲が横たわっているが、まだ風向きが変わっていないところをみると、雨は降りだしそうにない。それでも、文江の体は徐々に温もりを失ってきた。
しばらく歩くと、道路の右側の崖から小さな滝が流れ落ちている。海岸には、大きな蝋燭のような奇岩が立っている。いつも見慣れた景色だ。
そのうちに背中の昌枝が、愚図りだした。
「よしよし」と道路の傍らに寄り、背中から昌枝を下ろし、哺乳瓶を与えた。昌枝はピチューと音を立てて哺乳瓶の乳を吸った。オシメも取り換えた。哺乳瓶を銜えたままの昌枝は大人しくしている。
この道は、目黒に来てから何度か通っているので平気だった。文江にとっては冒険旅だ。時には蛇が出たり、キタキツネがこちらを窺っていたりする。
坂本の家を出発して小一時間も経っただろうか、トンネルが見えた。もうじきフンコツの佐藤家に辿り着く。勢い足早になった。
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