加藤智大に感謝していること
えっと、ご存じの通り
加藤智大は現在死刑囚です。
彼のやった犯行は到底、容認できるものではありません。
まず、ここは押さえておきます。
加藤智大は典型的な毒親による搾取子でした。
ものごころついた時から母親から
否定否定否定否定否定否定否定否定され続けて
そもそも、自分が何をやりたいのか、とか
自分がどんな人間でありたい、とか
そういう要素をすべてつぶされて
盲目的な母親の奴隷であったわけです。
ここら辺は私自身の背景とも酷似しています。
当時、1997年の夏
私は弘前大学教育学部の三回生でした。
今にして思えば、この年の夏に
加藤智大の家庭教師をして
浪岡では酔っぱらった小林光弘とぶつかって
口論になったわけで
その後、二人は別々の案件で死刑判決を
受けてるわけですから
なかなか強烈な体験です。
加藤智大を教えていて思ったのは
デジャビュです。
私の生まれ育った環境と
ほぼほぼ同じだったからです。
あらためて自分と似たような境遇の人と出会うと
人はそれなりに客観的にものごとをとらえられます。
中学三年生
あきらかに青森高校に合格できる実力をもち
あきらかに十分がんばっているのに
加藤智大の母親は
自分の息子をひたすら否定否定否定否定否定しつづけていました。
それが教育熱心な親、という姿で
自分に酔いしれているのも、すごく気持ち悪かったです。
話を少し変えます。
私の親は
私の好きな色を知りません。
私の好きな俳優を知りません。
私の好きな女優を知りません。
私の好きなテレビ番組を知りません。
私の好きな映画を知りません。
私の好きな食べ物を知りません。
私の好きなアパレルブランドをしりません。
私の好きな作家を知りません。
根本的な問題として
息子である私が何を考えていて、何をやりたいのか?
何を好んでいるのか?
については
完全に無関心な人でした。
いえ、現在もそうです。
この「無関心」というのが本当に恐ろしかったです。
ニコニコして冷淡に
自分の欲望をおしつけてくるわけですから
それはそれは恐ろしかった。
とりわけ、未成年の子にとって
親という存在は生死与奪を握る権限をもたれているので
逃げ場がありません。
デジャビュ(既視感)
「すでに前にみたことがある感じ、感覚」
というのが
わずかの間でしたが
加藤智大を教えていて感じたことです。
「インドでは、我が子に一生涯、物乞いをさせるために
産まれてきたばかりの我が子の両腕を
わざと切り落とす母親がいる」
という話がありますが、これは本当です。
そして、生涯、自分から離れられないようにする
生涯、自分のいいなりになるようにするために
子どもとして必要な体験を一切させない親
というのも世の中には存在します。
友達と遊ぶとか
友達とケンカして仲直りするとか
自分のやりたいことに挑戦してみるとか
淡い恋を経験してみるだとか
そういうことを
加藤智大の母親は全て禁じていました。
あるいは息子が自発的に何かしようとすることを
すべて全力で潰しにかかって
潰されてそだってきた、といってもいい。
典型的な例としては
一家四人で食事中に、突然、母親が激高して
テーブルの下に新聞紙をしき
そこへ食事をすべておとして
「アンタはそれを食べなさい」
と息子に命じたこと
これは後々、マスコミでも取り上げられてますね
加藤智大は泣きながら
それを食べてたそうです。
父親と弟は見て見ぬふりをしてたそうです。
いやぁ、世の中って自分と似た経験した人間っているものなんだな、
と思いました。
今であれば「毒親」とか「児童虐待」って言葉の概念がありますけど
1997年当時、そんなことは
まだ、社会的に知られていませんでしたから。
家庭、という外部から遮断されたブラックボックスの中で
こういったことが行われていたわけです。
私は彼とほぼほぼ同じ仕打ちを
実の両親、祖父母から受けていました。
そこで気づいたのですよ。
「あれ?加藤んちの親がやってること、これ、俺の親と同じじゃね?」と。
これは本当にラッキーでした。
すでに述べたエピソードですが
加藤智大の母親は
いかに自分が我が子を愛しているか?
いかに自分が我が子のために自己犠牲をはらっているか?
いかに自分が我が子の将来を考えているか?
については
こっちがドン引きするぐらいの勢いで
自分に酔いながら
きいてもないのに、延々と話すのですよ。
私は当時20歳をすぎたばかりの
ぺーぺーというか若さゆえの怖いもの知らずというか
率直に加藤智大の母親に質問しました。
加藤智大の好きな色はなんですか?
加藤智大の好きな俳優はだれですか?
加藤智大の好きな女優をはだれですか?
加藤智大の好きなテレビ番組ななんですか?
加藤智大の好きな映画はなんですか?
加藤智大の好きな食べ物はなんですか?
加藤智大の好きなアパレルブランドはなんですか?
加藤智大の好きな作家は誰ですか?
「私がこの子のことを一番よく知っている」
と豪語していたのに
加藤智大の母親は
なにひとつ、こたえられませんでした。
途中からワナワナと震えだしていました。
「そういうことはどうでもいいの!」
「あなたはただ、ウチの子を青森高校に合格させさえすれば
それでいいの!」
とヒステリー全開でわめきちらす
加藤智大の母親、
私はそこにすべての真実を見た気がしました。
一方で
「君が好きなテレビ番組ってなに?」
「君の好きなマンガってなに?」
「君の好きな歌手ってだれ?」
加藤智大は
なにもこたえられませんでした。
自分が好きなこと、やりたいこと
そういった感情が完全に無かったのですよ。
自分の感情がない。
これは恐ろしいことだと思いました。
あっという間に加藤智大の母親からクビ通告されましたけど、
それについては仕方ないと思います。
何がおそろしいか、って
加藤智大の家庭と
私の家庭がまったく同じだ、という点なんですよ。
弘前大学教育学部は
他学部とは異なり
三回生で附属の中学校で教育実習を
四回生で他の中学あるいは高校で教育実習を
するカリキュラムになっておりました。
弘前大学附属中学校での
教育実習は楽しかったです。
英語の教科書にニュークラウンというのが
三省堂からでていると思いますが
1997年当時、
ニュークラウンの教科書の編集というか執筆のトップは
弘前大学教育学部の高梨教授です。
英語科のトップですね。
同時に高梨教授は弘前大学附属中学の校長でもありました。
私も英語科なので
弘前大学附属中学校の3年A組を担当しました。
この学年は夏になる前に
神戸市で酒鬼薔薇事件がおこり
同じ学年の加藤智大はその後、あんなことに
という学年なんですけども。
彼らも今では40歳手前のおじさん、おばさんです。
文化祭がぶつかる時期だったので
3年A組は
創作ダンスでは「もののけ姫」を
合唱では「サトウキビ畑」を
それぞれやって
一位になりました。
いい思い出でしたね。
本当に楽しかった。
三回生の教育実習は
九月なんですけども
教育実習の直前にイギリスでは
ダイアナ元・皇太子妃が事で亡くなった年でもあります。
大学生活には何ら不満はなかったのですが
親らとのことで精神的にまいってしまって
十月に東京の友人宅へと
身をよせることとなりました。
タイミングギリギリでセンター試験の出願に間に合い
大学を受けなおして
横浜国立大学へと入りなおすことになります。
前期日程で本命に落ちたのもありますけど。
無事、横浜国立大は卒業しましたけど。
あの時、弘前大学を中退したのは苦渋の決断でしたけど
今であれば、これでよかったと思っています。
あの時、死にたいと思ってましたから。
なんで、死にたいのか?
とか、そこらへんの部分はモヤモヤしたものがあったんですけども
加藤智大にあって、その家庭をみて
原因がわかりました。
「とにかく、ここから逃げ出すしかない」
本気でそう思いました。
これはあとあと、正しかったと痛感することになります。
そういった意味で加藤智大には感謝しています。