光源氏はロリコンでもなければ、マザコンでもない。

あくまで私、個人の考え、
という

主に青森高校の現役生むけに。

高校生が読むには
難解だ、とされる
源氏物語を読むのにあたって
一つの手がかりになることを
祈って、この記事を書く。

源氏物語を初めて、ちゃんと
学び始めたのは
私が青森高校一年生だった

1991年のことだから
もう30年以上前になる。

この時に
セイコー同期だった子が

「源氏物語って
光源氏っていう名前の
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能で
音楽やらせても超一流って
感じの男が
稀代のプレイボーイとして
取っ替え引っ替え女替えて
ヤリまくる、っていう
ラブストーリーなんでしょ?

しかも光源氏はロリコン。

↑こんなの読んで
何が面白いの?」

と、一刀両断で
したり顔で
源氏物語を切り捨てていたけど、

上っ面だけを見ていれば
源氏物語というハナシは
そういうものだ、と
捉えそうになるけども

これは根本的に間違えている。

まず第一に
源氏物語は
ラブストーリーではない。

平安時代の貴族社会というのは
ものすごい権力闘争の時代であって
たとえ名家の育ちであっても

たとえ天皇の子であっても

それだけで一生安泰という
わけではない。

ドロドロとした嫉妬と権力欲の
渦巻く社会を
生き抜かねばならない 
過酷な競争社会である。

これは主人公の光源氏とて

例外ではない。

まず、ここを前提知識として
知っておかねばならない。

光源氏を
「稀代のプレイボーイ」
「恋多き男」
と思う人たちもいるだろうが

平安時代の恋愛事情は
そんなものではない。

現代だと

この前の自民党総裁選で
高市早苗が立候補したけど
総裁にはなれず
「やっぱり女性が
総理大臣なるのは
むずかしいよね」

とか、

アメリカ大統領選挙では
女性候補のハリス氏が
男性候補のトランプ氏に
負けて
「やっぱり女性が
アメリカ大統領になるのは
むずかしいよね」

というハナシから始まって
「男女平等じゃない」とか
「男尊女卑だ」とか

そういうハナシになりがちだが

こと、平安時代の貴族社会においては
たとえ貴族であっても
天皇以外の男性にとっては

「女尊男卑」の社会であった。

男として
学者やら政治家として
権力の階段をのぼっていくより

女として
天皇の后となり
男の子を産んで
その子が皇太子、

つまり「次の天皇だよ」と
公に認められて
その子が天皇になろうものなら

皇后およびその一族らは
今でいう総理大臣といった政治家や
霞ヶ関のキャリア官僚にいたるまで

その任命権とか罷免させるとか
全ての人事権を握り
その一族の権勢たるや

ものすごいものであった。

この背景があったので
平安時代の貴族の男たちは
自分の娘
天皇の后として 
ふさわしい女性に育つよう

教育費には
金を惜しまなかった。

清少納言も
紫式部も
この国の歴史の中でも
屈指の才女だし

清少納言がお仕えした
上司にあたる
中宮定子 も

紫式部がお仕えした
上司にあたる
中宮彰子 も

その後、天皇の后
となっている。

源氏物語において
主人公の光源氏が
「恋多き男」とされるのは

将来的に
天皇の后になりそうな女性

とか

将来的に
天皇の后になりそうな女性
に、お仕えするような才女
ちょうど
清少納言とか紫式部
みたいな女性を

「恋愛対象」として
扱っているわけで

惚れたはれた、とか
「結婚前提でおつきあいを」
とか、現代の我々の
恋愛感覚とは
まったく異なる。

もちろん
光源氏の妻となる女性や
光源氏の子を産む女性も
出てくるが
平安時代は
一夫一婦制ではないし、

その後
中宮、つまり天皇の后になる女性や
女官として宮中で活躍する女性も
出てくる。

ここからの話は
今どきの若い子向けになるが

みなさんは
今どきのアイドルグループでは
「推しメン」というのが
あるのはご存知かとおもう。

自分が
「このは将来、大スターになる!」と
推し(おし)てる(=応援している)
メンバーのことを指す。

30年以上前、まだ
CDデビューもしてなくて
ジャニーズ事務所に
入所したばかりの
木村拓哉を一目みて

「この子は絶対にトップスターになる!」
と確信して
木村拓哉がバックダンサーしてた頃から
応援してたファンが
いたとするならば
その人は「人をみる目があるよな」

というハナシになるし、

天海祐希が宝塚音楽学校に
入学した年に
「この人は絶対にトップスターになる!」
と確信して、一ファンとして
応援してきた
ヅカファンの方が
いたら
「いやー、お目が高いですね」
というハナシになる。

源氏物語における
光源氏の色恋沙汰というのも

年端もいかない少女を一目みて
「この子は将来、すんごい美人になる」
とか
「この子は、天皇の后候補になる」
とか
「この子は、女官として大出世する」

と見込んだ子を
支援、応援していく
というのが
源氏物語で描かれる恋愛模様である。

それをして
光源氏を「ロリコン」と揶揄するのは
私としては
いただけない。

2024年現在において
ロリコン、というのは

小児性愛者、という
意味あいが強い。

小学3年の女子児童を
セックスの対象として
ジロジロみてるオトナ

これが
現在使われている
ロリータ・コンプレックス
ロリコンという言葉の意味であって

これでは源氏物語の
世界が歪曲されて理解されてしまう。

光源氏の恋愛観って

CDデビュー前の
未完成なアイドルを
一ファンとして
応援してる人

みたいなもので
あって

そういう意味では

今の若い人たちからは
理解しやすくなっている
と私は思う。

ただ、この話で
「なるほどなぁ」

と思ったのは、

光源氏のモデルとなった

人物は誰か?

という問いに対し
「藤原道長」とする
説がいまだに根強い、

という点だ。

私自身がもっている

藤原道長の印象は

・剛腕 
・大胆不敵

この二語に尽きるのだが、

源氏物語に出てくる
光源氏のキャラ設定として

・超絶イケメン
・天皇の実子


これは
藤原道長の実像とは異なるし

源氏物語での光源氏は
まわりから嫉妬されて
足を引っ張られたり
嫌がらせを受けても

メソメソしてるだけで
それでもなんとかして
生き残ろうとする人物像
なのに対して

藤原道長という人物は
自分に刃向かったり
敵対してくる相手に対しては
情け容赦なく
徹底的に叩き潰す
怖い人である。

それでも
藤原道長と
光源氏との
類似点を挙げるとすれば
「人をみる目に長けている」ことか。

人材登用として
優れた才能をもった人物を
見つけだし
その才能を発揮させることに

非常に長けている。

藤原道長
「オレんとこの長女なんだけど
将来、天皇の后にさせたいのよね。
で、将来の皇后にふさわしい
女性になるよう
教育係の女官として
ウチに来てほしいんだけど?」


これで見いだされ
ヘッドハンティングされたのが
紫式部である。

紫式部は確かに才女ではあるけど
この時はまだ
世に名を轟かせる有名人、

というわけでは、なかった。

その後、
紫式部が女官として
お仕えした

藤原道長の長女は

中宮彰子であり
天皇の后となった。

また、
中宮彰子の産んだ子は

その後
後一条天皇となる。

これを機にして
藤原道長および
その子孫たちは
絶大な権勢をほこる。

人材登用とか
人をみる目利きの良さ
については

光源氏も
藤原道長も
天才的であった、と
するしかない。

これをして
光源氏のモデルとなった
人物のひとりは
藤原道長である、

と言われたら
「なるほどなぁ」
と唸ってしまう。

話が長くなった。

「光源氏はマザコンじゃない!」

の話は
また、次の記事で。

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