師走の大勝負助蔵の来し方はふくには見当もつかない。 無宿者と言われればそうだろうと思うし、どこぞの大店の跡取りと聞いても得心する。飄々とした様子が助蔵を何者にも見せるのだ。 お互いをよく知らぬまま二人は月に一度か二度、賭場へ繰り出した。ふくを伴えば必ず勝てるが、この頻度を助蔵は良しとしているようだった。 そうしているうちに季節は移り、暦は師走を迎えた。 壺振りと一対一の三番勝負を提案されたのは意外だったが、ふくにとっては願ったり叶ったりだ。胴元の岩切親分は助蔵が一目置いている
初陣ふくの初陣は料理茶屋の二階の広間だった。 客の顔ぶれは職人や商人が多く、想像していたような無頼漢の巣窟でなかったことに正直にいえば肩透かしを食った。 それでもふくは目立たぬよう静かに座り、壺振りの手元をそれとなく伺い、半なら一回、丁なら二回、助蔵の腕に触れ合図とした。 賽子の目は毎度ふくの見立てどおりだったが、助蔵は間々外した。 客が増えるにつれ熱気も盆ござの上の駒札も膨れ上がり、その頃合いで助蔵も元手に少し上乗せした分を取り返した。 「勝ち続けると目をつけられちまうから
元壺振りとの対決 表通りから木戸をくぐり路地へ入る。 向かい合う棟割長屋の間を進み裏側へまわると、ただでさえ湿気ていた空気が淀み、足元はぬかるみ、これでは店子も苦労するだろうと顔を上げれば、そこは住居であることを放棄したような荒れっぷり。 男は立てかけられた板——これが引き戸であった——を横にずらして声をかけた。 「忠さん、久しぶり」 「……誰だあ?」 なかには白髪を肩まで伸ばした痩身の老人が、ひじをついて横になっていた。 「天才壺振り師に用があるんだが」 「助さんじゃない
出会い 助蔵との出会いは半年ほどさかのぼる。 この日ふくは、隅田川にかかる橋の袂で武家屋敷を眺めていた。ここの中間部屋で賭場が開かれていることは誰もが知っており、見張っていたといってもいい。 屋敷から出てくる者を観察していると、裸同然に尻切れ半纏を引っかけた中年男が逃げるように去っていった。なるほどあれが身ぐるみ剝がされるということかと目で追っていたところ、ひとりの若い男に目が止まった。 彼を見た瞬間、頭の中でなにかが弾けた。 引き寄せられるように足が動いた。 「卒爾なが
プロローグ 壺の中の賽子が盆ござの上に落ち着いた。 賭場の進行役である中盆が「張った、張った」と唸るような声で客を煽る。 ふくが『丁』に駒札を張ると、まわりの客が次々と『半』に廻った。なかには、ふくの顔を覗きこみ、にやにやと笑う者もいる。中盆が「丁とないか丁とないか」と誘いをかけ、ようやく丁半がそろった。 はたして壺振りが壺を持ち上げると、二六の丁。 「ふざけやがって」 『半』に張った客の一人が吐き捨てるように言い、何人かがふくを睨みつけた。それには気づかないふりをして立ち
落語:目黒のさんま 妖怪:お歯黒べったり 高校の裏手に、生徒たちから「お歯黒神社」と呼ばれている神社があった。 境内で和服姿の女性に声をかけたら、のっぺりとした白塗りの顔が振り向き、裂けるように開いた口元から黒い歯をのぞかせて笑ったという。口からは生臭いにおいがした。そんな噂が世代を超えて伝わっている。 それなりに怖がられた時代もあったが、生徒を神社に寄せ付けないために、都市伝説ブームに乗っかって地域住民が流布した作り話だろうとも言われていた。つまり迷惑をかけた先輩がいた
落語:転失気 妖怪:貂(てん) 貂と狐と狸が話し合っていた。 「我らほど化けるのがうまい妖怪は他にいないというのに」「そのとおり」「なぜあの和尚はいつだって我らの正体を見抜くのだ」「まったくだ」「和尚こそ妖怪ではないのか」「ちがいない」「明日こそ完璧に騙してみせよう」 翌日、寺に子どもが3人やってきた。 「迷子だよう」「お腹すいたよう」「木の実とってほしいよう」 道之助はやれやれまたか……とため息をついた。 「おまえたちも暇だな。貂よ、なぜ小さな子どもがそのような絢爛な
落語:粗忽の釘 妖怪:狂骨(きょうこつ) ただでさえ陽当たりも風通しも悪い裏長屋に“出る”と噂の部屋がある。 あれは山姥だという者もいれば、あれは死神だという者もいる。また姿は見えずとも、夜中に女の声が聞こえるという怪奇は皆一様である。 怨念のこもったその声は耳を塞いでもまるで隣にいるかのように響き、一晩中まとわりつかれて参ってしまうと店子が三日と居着かない。 困り果てた大家は、怪我のため大工を休業している甥の熊吉を住まわせることにした。 この甥、肝が据わっているというか鈍
落語:まんじゅうこわい 妖怪:狐者異(こわい) 噂話に事欠かない江戸の人々の間で、今もっとも口の端に上るのが「まんじゅう騒動」である。 菓子屋でまんじゅうばかりが狙われる奇妙な事件なのだが、売り物のまんじゅうを残らず食い尽くされた店もあれば、ひと口齧っただけで捨てられた店もあり、また同じ店には二度と現れないことから、事件といえど菓子屋の評判を左右する番付のような扱いであった。 それでも人の犯行であったなら奉行所に恃み、それ相応の罪になるだろうが、どうもそうではないらしい。
落語:ろくろ首 妖怪:ろくろ首 ——また今夜もか。もう嫌だ。 与太郎は夜着を頭まですっぽりとかぶり、固く目を閉じた。 ぴちゃぴちゃと音が聞こえる。 与太郎のとなりで女房が寝ている。 正確に言うならば女房の身体が寝ている。 そして顔は与太郎を越えて、行燈へ向かい油を舐めている。 日中の、器量の良い物静かな女房が、今この瞬間は与太郎を震え上がらせる。 夜中に首が伸びるくらい平気だと思った俺が馬鹿だった。 こんな女房ほかにいるか。不気味なことこの上ない。 その時、半鐘の音が響い
落語:猫の皿 妖怪:猫又 とある寺の境内で雀を狩ろうとして逃げられ「残念」と呟いたのを和尚に聞かれてしまった。 人前で人語を話せば襲われることがあり、私は慌てて逃げようとした。 すると和尚は「これは奇なり。猫が人の言葉を話せるのか」と聞いてきた。 無言で和尚を見返すと「ほう、通じておるな。他にも何か話してみせよ」という。 私は一定の距離を保ち、和尚を観察した。 敵意はないように見えた。 それでも何も言わずにいると和尚はくるりと向きを変え歩き出した。 「腹が減っておるだろう。