相馬地方生活一ヶ月弱でのゆらぎ
福島移住を現実的なものとして、イタリア帰りの興奮もある程度落ち着いて考え始めた時、東北地方太平洋沖地震による津波被害やそれに連なって生じた原発被害も受けている相馬地方に「支援者」として移住するとは、どういうことか?という問いは避けては通れなかった。
自分自身への事前学習として、新しい職場の人たちが出版している本を2冊読むことを課した。
さらに引越しの直前には、Amazon primeで視聴可能になっていた『Fukushima 50』も観た。
自分なりの準備や覚悟を以て福島入りをした。周囲とも相談の上、基本的に「過剰に身構える必要はない」という心持ちで臨むことに決めていた。
海から結構離れた道を走っていると、折に触れて「津波浸水区間 ここから」という標識に出会す。そのまましばらく走らせていると、「津波浸水区間 ここまで」という標識が現れる。この標識を見かける度、ぼくは言葉にできないしならない、なんとも言えない言い知れぬ気持ちになる。
まったく他所の地域から、精神保健医療福祉分野のワーカーとして働くために移住してきたよと役所の地域振興課の人に話したら、「ありがとうございます!」なんて感謝の言葉をかけられた。
いろんな所に引っ越してきた経験を持っているつもりだけど、転居関連の手続きで役所に出向いて、御礼を言われたのは初めての体験でとても印象に残った。
同じ法人の方からある行政の職員さんに紹介していただいた際、「うちの管理者にイタリアでyou福島に来ちゃいなよって声かけられちゃって来ることになったんですよね〜」なんて紹介されたもんで、こちらもそのノリに乗っかって自己紹介をしたところ、その職員の方が働いている地域の現状を滔々と語られ、最後に「大変な場所に来ましたね?」と、こちらに釘を刺すようなことを言われて/せてしまったのが忘れられない。
職場の人に教わったサイクリングロード、久々の快晴の休日に早速行ってみた。最終地点の海沿いの公園とされる場所まで何の気なしに出向くと、震災前の地域のことや津波の犠牲者のこと、あれから施された1000年に一度の地震に伴う大津波への対応策の説明等が記された掲示板があった。
業務引き継ぎの関係で、様々な人と出会い、法人に作ってもらった名刺を配る。どちらの出身ですか?埼玉なんです〜。全然福島のことわからなくて、いろいろ教えてください!
「よくご家族がこっちに引っ越すの許されましたね?放射能のこととかあって心配されると思うんですけど」
頭のどこかには常にあるはずなのに、その単語に関する話題が挙がるという頭が全くなかった。完全に意識の外から思わぬ単語が飛んできた。
6人兄弟の末っ子三男なんで、どこに行くのも自由放任の家族なので何も言われなかったです!笑
とりあえず、ここ1ヶ月足らずの自分のゆらぎを書き記しておきたいとおもい書いてみた。新しい職場も3週間目で、慣れない環境ながらに少し余裕もできてきたとは思う。まだまだこれから相談支援員としてひとり立ちしないといけないので、それからがまたいろいろと大変だろうけども。
乱暴なまとめになるけど、「当事者」でないからこそ、見えるものや感じるもの、わかるものや理解できることだったりできることがあるはずだと経験的にも理屈の上でも知っているつもり。つまり、実は「当事者でないこと」それ自体が強みにもなり得るのだと。
とは言え、現実的にはそんなに気負わず、それこそ初心に帰って「過剰に身構える必要はない」よなとも思う。これを書き出すまでこの初心のことを忘れていた(そもそもこの表現が正確かも若干怪しい)位なので、思い出せてよかった。