トリエステの社会協同組合におけるピアスタッフ雇用の実態から感じた日本のピアスタッフが置かされている社会状況の差異
7月8日にトリエステの社会協同組合の視察に行った。
1991年に制定された社会協同組合法の第一条第一項で、「市民の人間的発達と社会的統合に向けた共同体の一般的利益を追求する目的を有する」とされており、社会福祉・保健医療の供給を目的とする事業で、専門職によって結成されるAタイプと、障害者に労働参入の機会を提供することを主目的としたBタイプがあるとされている。
自分がいったのは、まさにBタイプの社会協同組合でした。
その社会協同組合では80名程いる組合員の中に、一名ピアスタッフを雇用したという話が出ていたので、どうしても気になって、
「日本では2021年からピアサポート整備加算が施行されたことで、ピアスタッフの雇用が促進されている状況があるのですが、こちらの組合でもピアスタッフを今年から一名雇用した背景には、日本のようにピアスタッフを雇用すると加算がつくからとかそういう事情があったりするんですか?」と質問をしていた。
よく考えてみれば、事前学習をしっかりしていればするまでもない質問だったのかもしれないが…。。
質問に対する先方の返答は、概ね以下のような内容だった。
「イタリアでは特段そのような加算制度はない。私たちの組合のミッションはインクルーシブを促進すること。その目的のために私たちはピアスタッフによるサポートが有効だと判断して、今年から雇用しました」
日本の特に精神保健医療福祉分野のピアスタッフは、ある面では「精神保健医療福祉システムを変革する当事者」として期待されている。日本ではピアサポートは、リカバリー概念とセットで語られており、簡潔に言えば、ピアスタッフの雇用を通じて、事業所や地域のケアシステムや支援システムをより当事者主体≒リカバリー志向の精神保健医療福祉システムに変えていくことが可能なのだと語られてきている。
おそらく大多数のピアスタッフは、自身が期待されている/身に纏わされている「政治性」には頓着しておらず、桐原(2014 : 72)が言うように「私たち精神障害者には、よい職が用意されていない。そのような状況下でピアサポーターは、実に魅力的な職のように見えるだろう。誰しも、精神障害というレッテルを利用してでもいいから世の中に認められたい、という思いはある」からこそ、ピアスタッフになっていく現状があると思われる。
しかも「精神保健医療福祉システムを変革する当事者」として期待されるピアスタッフは、実質的に精神科医などを頂点とする精神保健医療福祉システムや支援・治療システムのピラミッドの末席に位置付けられるところからはじまるのにもかかわらず、それらのシステムをまさに変革するのだと過剰に期待されてしまっている節がある。
周囲の専門職も「良い方向」に変わっていこうと自発的にしない限り、そうした過剰な期待と権力構造との間の中で、ピアスタッフは引き裂かれかねない。
いろいろな思惑や期待の中で、多くのピアスタッフが潰れていくことが予想されているのが日本の現状だったりする。
イタリアのトリエステの社会協同組合での話は、そんな日本のピアスタッフが置かされている現状との差異をぼくに痛感させた。
イタリア社会では、日本より「インクルーシブ」の思想が浸透している。
このイタリアでの「インクルーシブ」について、視察団のメンバーのひとりが日本との比較を通じて、「日本のインクルーシブは、マジョリティとマイノリティを統合するような意味合いで使われる感じがするが、イタリアではそれを感じなかった。ごちゃまぜが当たり前の社会。人が人としていることに、何の躊躇もない哲学が感じられた」、「マイノリティと言われる人々が、必要以上に頑張らなくてもよい社会、頑張らなくても人として尊重される社会、それが包摂的(インクルーシブ)の本意ではないか」というようにまとめていたので、だいたいこの意で以下ではイタリアの「インクルーシブ」を使いたい。
イタリアのトリエステの社会協同組合に雇われたピアスタッフは、このような「インクルーシブ」を促進するために雇用されていた。そしてそのような「インクルーシブ」は、イタリアでは大事な哲学や思想として割と人口に膾炙してそうでした。
一般化しすぎな表現になるけど、「イタリアのピアスタッフはなんて幸せなのだろう…!」とぼくは思いました。
人口に膾炙している「インクルーシブ」という社会で共有された価値観や大きな物語を実現するために働くことが、イタリアのピアスタッフはできるのか…!と衝撃を覚えました。
片や日本でのピアスタッフは、権力構造の末席にあまり策を練れぬまま放り出されて、しかもどこまでどのレベルで共有されているのかもわからない「ピアスタッフ=精神保健医療福祉システムを変革する当事者」という期待を現場で一身に背負うことになりかねない現状があります。
同じ「ピアスタッフ」でも、文脈や基盤が異なると、こんなにその「雇用に対する意味や価値」が変わるのかと…。
防災センターで、イタリアには福祉避難所はあるのか?という質問に対して、「ありません、だってインクルーシブだからね」と言われた時のような一撃をぼくはあの場で喰らっていました。
「制度なんてないよ。インクルーシブ促進というわれわれの組織(≒社会)の目的の達成のために雇ったんだからね」
ぼくはなんだか自分が恥ずかしくなってしまいました。
とは言え、イタリアの視察で自分の専門分野のことを学んで来たら自分の国のことが恥ずかしくなってひたすら悶絶し続けています…なんて言っている訳にもいかないので、自分自身、今後もなんらかの形で特に「専門職」の方々が「良い方向」に変わっていけるような働きかけや取り組みなり、少しずつでもやれるように頑張ります。絶対にめんどくさいとか泣き言をたくさんいうけども…、仕方ない、やるしかないのだ。。