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依存的な逆張り人は悪名と汚名を混同する教育界の洗脳を受けた

逆張りする人は正しいかどうかではなく、主流・相手の逆を言うだけ。
神の信者なら、神の教えだけが正しいとするから、誰かに対して逆張りはしない。

ネットの掲示板で逆張りして、他人の神経を逆なでして、自己顕示欲を満たそうとする人間が居る。
俺からしてみたら、アンチの神経が判らない。
俺は、聖書を読む前は、他人の自滅を見殺しにしていたから、逆張りやアンチがワザワザ自滅する事を言うのが理解できない。
逆張りやアンチ活動でモノを言っても、自分の性格を見破られてメンドウな結果になる。メリットがない。

俺は自分の性格を見破られるのがメンドウだから、文章を出したくないけど、神がエゼキエル書33章で「警告しなさい」と言うから、神の命令通りに警告文を出しているだけ。
神に命令されなかったら何の文章も出していない。
俺は聖書を読む数年前に精神的に病んで数か月ほど作文投稿したぐらいで、正常な精神状態なら絶対に文章は出さない。
だから、ワザワザ逆張りを出す人間の神経が判らない。自己顕示欲を満たすために文章を出す人は精神的に病んでいるのではないか。
今の時代は精神病でもネット契約ができるだけの知能と精神力が有れば、誰でも投稿できる。
昔は、出版社やテレビ局の許可を得ないとできなかった事が、今では誰でもできる。

逆張りする人は、他人の記憶に残りたいのだろう。
普通のやり方をしても、他人の記憶に残れる結果を出す才能がないから、悪名でも記憶に残ればいいのだろう。
それはタダの汚名なんだけど、悪名と汚名の区別が付かないような能力だから、他人の記憶に残る成果を出せない。

最近は悪名と汚名の定義が変わっているのか、俺が考えていた定義とは違う。
今の悪名の定義は、悪い噂。
今の汚名の定義は、不名誉とか、失敗したから笑われる。
俺の考える悪名の定義は「野心のために悪行をして人々から恐れられる」。
俺が考える汚名の定義は「自らの卑しい言動が原因で人々から性根の卑しい人間だと思われる」。
汚名は自業自得の要因が大きいと思う。
だから、逆張りで汚名を自ら被りに行くのは自業自得だと思う。

最近の汚名の定義は、失敗で笑われるとか、挑戦しない他人が自分の臆病を棚に上げて他人の失敗をあげつらうだけになっている。
薩摩の男の序列がある。
一、挑んで成功した者
二、挑んで失敗した者
三、挑まないけど、挑んだ人を手助けした者
四、何もしなかった者
五、何もしないのに批判する者
挑んで失敗したなら、何でそれが汚名になるのか。
世間の評価を絶対視しすぎて、世間に迎合しておかしくなっているのが最近の教育界なのだろう。
だから、悪名と汚名の区別も付かない人間が大量生産される。
挑まない教育に洗脳された結果、逆張りで自己顕示欲を満たそうとする人間が、自分の恥さらしにも気付かないで文章をネットに書いてしまう。
サタン側の教育機関が責任を取らないから、洗脳された人が損をする。
逆張りする人は、ある意味ではサタン側の加害による被害者だと言える。

子供に挑戦させると怒る人間が存在するから、挑ませない教育なのだろう。
日本人を臆病にさせるために仕掛けている外国の反日勢力の計画なのではないだろうか。
子供が挑戦して失敗したら責任が取れるのかと、教育界を脅して、教育方針を変えさせるのだろう。

サタンは傲慢だから、人々を傲慢にするために、自己顕示欲を満たす逆張り人間に成るように洗脳する。

逆張りは他人に依存している。
他人が何かを言ってくれないと逆張りできないからだ。
挑戦しない教育を受けたから、相手が居ないと何もできない。
アンチも他人に依存している。
だから、アンチの相手をするのは依存症を相手にするのと同じで、時間をドブに捨てるから正常な人は無視して排除する。
アンチなんて優しい言い方をして対等扱いしているけど、精神病の扱いをしないのはどうしてだろうか。
多分、精神病と呼ぶと、精神病関係の人たちから差別主義者とか言われるのだろう。
アンチを精神病扱いすると、アンチからも逆上で粘着されるから、精神病と言えないのだろう。
自分の人生と何の関係もない、何の使命もない、何の命令もされていないのに、他人に粘着している時点で精神病だと思う。
俺は神の命令に従って警告や戒めをする使命がある。

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。

レビ記 19:17

神に命令されていないのに他人の相手をするのは、元々ダメな行為だ。
依存症の人間に対しては、精神病院が対応すべきであって、自分が対応してはいけない。
自分で何とかしようとする雰囲気があるから、アンチに付きまとわれるのではないだろうか。
アンチは、アンチの相手をしそうな人間を嗅ぎ分けて見つける能力があるから、自分の力と価値観で何とかしようとする人間は付きまとわれる。

逆張り・アンチは「他人任せ」「運任せ」だから、逆張り・アンチは人生が上手くいかない。

元々、人生が上手くいくかどうかは、サタン側の気分で決まる。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章7節 新共同訳

人生が上手くいくかどうかという繁栄と出世は、元々はサタン側が気分で与えるモノである。
神を知らないから、自分が上手くいかない原因がサタン側の気分で出世が決まるのが判らない。
何で他人が上手くいくのか判らない。
どうすれば出世するか判らないから、出世している人を妬んで難癖を付けたり逆張りしたりアンチになる。
サタン側に神を隠されたから、アンチという訳の判らない無知蒙昧な生き方をしてしまう。
出世するのはサタンに魂を売ったからだと判れば、自分が出世できなくても良かったと思えるようになる。
神に立ち帰れば、出世などという手に入らないモノで苦しまなくて良くなる。
神に立ち帰れば、出世という何の価値もないモノを手に入れるために苦しむ人生にならない。

神は家族を捨てろと言っている。

わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。

マタイによる福音書 19:29

家族ですら執着してはいけないため、他人に執着するアンチ活動は禁止だし、アンチを自力で何とかしようとするのも禁止である。
神の価値観や力で対応するのは、やってもいいのだろう。
神の教えに反している人間を率直に戒めるのは、やるべきである。

逆張りやアンチをする人間は、神に対しても同じ事をする。
だから、サタン側は、人々をアンチ人間に教育する。
サタンの目的は人々を地獄へ道連れにする事だから、人々がアンチ人間に成れば、神に逆らうから地獄へ道連れにできる。

妙にアンチを相手にする人は、自力で何とかしようと思っているのか、他人を助けようと思っているのか。
神の信者は、助ける対象は神が決めているから、何でもかんでも助けようとは思わない。
偽装キリスト教団のカトリック・プロテスタント・ギリシャ正教・その他色々は、利益になる相手を取り込もうとして助けるそぶりは見せる。

聖書では、助けるべき対象は決まっている。
その対象は、神の信者・貧困者・未亡人・孤児である。
旧約では神を慕う異邦人は助ける対象だったけど、新約になると対象ではなくなった。
病人は助けるというよりも治す対象である。
被害者・弱者・障碍者は助ける対象ではないけど、貧困になっているなら助ける対象になる。
助ける対象を助けたら天国へ入れる。
助ける対象に入っていない人間を助けても、神に対する貢献にならないから、天国へ入るための得点にならない。

自分の基準で交流相手を選ぶから、変な人間に漬け込まれる。
神の基準で相手を決めれば、変な人間を排除するから漬け込まれない。

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